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浜口遥大が30歳で引退|トレード1年、難病と闘った左腕の決断

2025年11月11日、福岡・タマスタ筑後。一人の左腕投手が報道陣の前に現れ、こう語りました。

「やりきった」

浜口遥大、30歳。この日、現役引退を表明しました。

実は、彼がDeNAからソフトバンクへトレードされたのは、わずか1年前の2024年12月23日。地元九州への夢のような凱旋トレードだったはずが、わずか1年で野球人生の幕を閉じることになったのです。

一体なぜ、まだ30歳の若さで引退を決断したのか。そして、浜口遥大とはどんな選手だったのか。

この記事では、浜口遥大投手の引退理由から、彼を苦しめた難病の真相、そして伝説の日本シリーズまで、すべてを詳しく解説します。


 

浜口遥大が30歳で引退|トレード1年、難病と闘った左腕の決断

浜口遥大が30歳で引退|トレード1年、難病と闘った左腕の決断



 

⚾ 浜口遥大が30歳で現役引退を表明

2025年11月11日、ソフトバンクの浜口遥大投手が現役引退を表明しました。

まだ30歳。プロ野球選手としてはまだまだ現役バリバリの年齢です。

浜口遥大は1995年3月16日生まれ、佐賀県出身。2016年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1位指名を受けてプロ入りしました。

DeNAで8年間プレーした後、2024年12月23日に三森大貴内野手との交換トレードで、地元九州の福岡ソフトバンクホークスへ移籍。

地元のファンは大喜び。「佐賀出身の左腕が地元に帰ってくる!」と盛り上がりました。

しかし、ソフトバンクでの1軍登板はゼロ。わずか1年で、浜口遥大の野球人生は終わりを迎えることになったのです。


💡 実は

このトレードからわずか1年での引退は、プロ野球界でも異例の展開でした。

 

 

 

❓ なぜ30歳で引退?戦力外から決断までの経緯

では、なぜ浜口遥大は30歳という若さで引退を決断したのでしょうか。

きっかけは、2025年10月27日。ソフトバンクから戦力外通告を受けました。

戦力外通告とは、球団から「来年は契約しません」と伝えられること。簡単に言えば、チームから必要とされなくなったということです。

このとき、浜口遥大は引退会見でこう語っています。


「戦力外を受けて、いろんなことを考えていく中で、ここが区切りなのかなという気持ちが強くなった。プレーヤーとして続けたいという気持ちにならなかったし、そういう選手がいられる世界ではないので。区切りとして決断しました」

引用元:Full-Count

「プレーヤーとして続けたいという気持ちにならなかった」――この言葉には、深い意味がありました。

実は、浜口遥大は2025年4月に2つの手術を受けていたのです。

1つ目は「内視鏡下胸椎黄色靭帯骨化切除術」。これは後で詳しく説明しますが、国指定の難病の手術です。

2つ目は「左肘関節クリーニング術」。左肘の関節炎を治すための手術でした。

手術から実戦復帰したのは7月。2軍で15試合に登板し、1勝2セーブ、防御率3.78という成績を残しました。

でも、1軍のマウンドに立つことはできませんでした。


「地元の球団に帰ってきて、いろんな方から声をかけていただいた。そういう方たちに1軍で投げている姿を見せられなかったのは悔いが残る

地元のファンに、1軍での勇姿を見せられなかった。この悔しさが、浜口遥大の言葉からにじみ出ていました。


💡 実は

4月に受けた手術は、プロ野球投手に多い国指定の難病の手術だったのです。

 

 

 

🏥 浜口遥大を苦しめた難病「胸椎黄色靱帯骨化症」とは

浜口遥大を苦しめた病気。それが「胸椎黄色靱帯骨化症」です。

漢字ばかりで難しそうですが、簡単に説明すると「背骨の靱帯が石のように硬くなって、神経を圧迫する病気」です。

普通、靱帯は柔らかくてしなやか。ゴムのようなイメージです。

でも、この病気になると、靱帯の中にカルシウムが溜まって、だんだん骨のように硬くなっていきます。これを「骨化」と呼びます。

骨化した靱帯は分厚く大きくなり、背骨の中を通る神経を圧迫。すると、こんな症状が出ます。


  • 手足のしびれ
  • 歩行困難
  • 重症化すると排尿障害

参照:黄色靭帯骨化症 - Wikipedia

「え、じゃあ浜口遥大も歩けなくなったの?」

そうなる前に手術を受けたのです。

実は、この病気は国指定の難病。原因はまだはっきりとは分かっていません。

でも、プロ野球の投手に異常に多いことが分かっています。


同年代の一般人と比べて

10倍以上の発症率

参照:黄色靱帯骨化症はプロ野球選手の投手に多い! - 成尾整形外科病院

「なんで投手に多いの?」

それは、投球動作が関係していると考えられています。

高速で投球するためには、体幹を高速回転させる必要があります。すると、背骨に大きな回転ストレスがかかるんです。

特に、胸と腰のつなぎ目あたりは、回転の力が集中しやすい場所。ここに繰り返しストレスがかかることで、靱帯が骨化してしまうと考えられています。

さらに興味深いのは、非利き手側(右投げなら左側)の靱帯が厚くなるというデータもあること。

参照:阪神の湯浅京己投手を襲った難病の正体 野球投手に多発、黄色靱帯骨化症

つまり、投球という動作そのものが、背骨を痛めつけていたのです。

実は、この10年ほどで約15人のプロ野球投手がこの病気を発症しています。

代表的な選手を挙げると:


選手名 発症年 その後
大隣憲司 2013年 史上初、難病を乗り越えて勝利
三嶋一輝 2022年 新「MISHIMA手術」で復帰
福敬登 2022年 同じ手術法で復帰
湯浅京己 2024年 阪神の救援投手

参照:なぜ野球選手に国指定難病「黄色靭帯骨化症」が多いのか?球界初の経験者と医師が語る - 日刊ゲンダイDIGITAL

復帰した選手もいます。でも、完全復活は難しい。多くの選手が引退を余儀なくされてきました。

浜口遥大も、この難病との闘いの末、引退を決断したのです。


💡 実は

投球という動作そのものが、プロ野球投手の背骨を蝕んでいたのです。

 

 

 

🏆 伝説の日本シリーズ!浜口遥大の輝かしい実績

「でも、浜口遥大ってどんな選手だったの?」

ここからは、浜口遥大の輝かしい実績を振り返りましょう。


⚾ 2016年ドラフト1位でプロ入り

浜口遥大は、佐賀県立三養基高校から神奈川大学へ進学。大学時代に左腕投手として頭角を現し、2016年のドラフト会議でDeNAから1位指名を受けました。

身長173cm。投手としては小柄です。一般男性の平均身長くらいしかありません。

でも、その小さな体から最速151km/hのストレートを投げ込みました。

そして、武器は「魔球チェンジアップ」

チェンジアップとは、ストレートと同じ腕の振りから、打者のタイミングを外して沈む変化球のこと。浜口遥大のチェンジアップは120km/h前半で、落差が大きいのが特徴でした。

参照:DeNA浜口が明かす"魔球"の極意とは? - ファーストピッチ

ただし、コントロールが悪く、「暴れ馬」と呼ばれることも。与四球が多い投手でした。


🎯 2017年ルーキーイヤーに10勝

プロ1年目の2017年、浜口遥大はいきなり10勝を挙げました。

ルーキーで2桁勝利。これは素晴らしい成績です。

そして、この年の日本シリーズで、浜口遥大は伝説を作ります。


⭐ 2017年日本シリーズ第4戦の伝説

2017年10月、横浜DeNAベイスターズは19年ぶりに日本シリーズへ進出。相手は福岡ソフトバンクホークス。

しかし、DeNAは3連敗。あと1敗で日本一の夢が終わる崖っぷちでした。

第4戦の先発マウンドに上がったのは、ルーキーの浜口遥大。


「自分が終わらせないように、気持ちを込めていきました」

この言葉通り、浜口遥大は圧巻のピッチングを見せます。


8回途中までノーヒット

7回2/3を投げて、2安打7奪三振無失点

そうです、8回まで1本もヒットを打たせなかったのです。

結果は7回2/3を投げて、2安打7奪三振無失点。DeNAは6-0で勝利し、3連敗から1勝を返しました。

参照:DeNA、19年ぶりの日本シリーズ勝利 新人・浜口が快投 - BASEBALL KING

女房役の高城俊人捕手とのバッテリーが記憶に残る、伝説の投球でした。


「(捕手の)高城さんのおかげだと思います」

試合後、浜口遥大はこう語りました。謙虚な姿勢も、多くのファンの心を掴みました。

参照:濱口遥大の球を誰よりも受けたから。好投導いたDeNA高城俊人の観察眼。 - Number

残念ながらDeNAは最終的に2勝4敗で日本一を逃しましたが、ルーキー・浜口遥大の名前は、この日本シリーズで多くの野球ファンの記憶に刻まれました。


📊 通算44勝46敗、8年間の実績

その後も浜口遥大はDeNAの先発ローテーションの一角として活躍。

プロ8年間で通算44勝46敗、防御率3.76という成績を残しました。

特筆すべきは、交流戦での強さ。2017年から交流戦で7連勝という記録を持っていました。


🏅 2024年日本シリーズにも出場

そして、浜口遥大は2024年の日本シリーズにも出場しています。

この年、DeNAは7年ぶりに日本シリーズへ進出。相手は――またしても福岡ソフトバンクホークス。

浜口遥大は第2戦でリリーフとして登板。気合いの入った投球を見せました。

参照:2024年の日本シリーズ - Wikipedia

結果的にDeNAは4勝2敗で日本一に。浜口遥大は日本一の輪の中にいました。

しかし、わずか1か月後の12月23日、浜口遥大はソフトバンクへトレード。

そして、地元での1年を経て、2025年11月11日に引退。


💡 実は

浜口遥大は2017年と2024年、2度の日本シリーズに出場していたのです。

 

 

 

🌟 地元で終えた野球人生と今後の第二の人生

「地元で終えられたのは、いい野球人生の締めくくりかなと思います」

引退会見で、浜口遥大はこう語りました。

ソフトバンクでの1年間。1軍登板はゼロ、日本一のチームにいながら、その輪に入れなかった悔しさはあったでしょう。

でも、地元九州のファンからは、温かい声援を受けました。


「上手くいく1年ではなかったけど、チャンスをもらったので感謝しています」

そして、8年間過ごしたDeNAへの感謝も忘れませんでした。

「勝つ喜び、負ける悔しさ、スポーツを通してじゃないと感じられないことをたくさん経験させていただいた。ラミレス監督、三浦監督、指導者の方々、支えてくださったスタッフの方、全ての方に感謝しています」


🥋 格闘技エリート一家の末っ子が野球で才能開花

実は、浜口遥大は3人兄弟の末っ子

そして、兄2人は格闘技エリートなんです。

長男は高校時代に陸上の投擲競技をやっていて体重100kg。今もサモアのラグビー選手のような体格だそうです。

次男は大学時代に総合格闘技に熱中した身長185cmの長身。

2人とも父親と一緒に中学生まで地元の空手道場に通っていました。

参照:DeNA1位・浜口遥大は格闘エリート一家に誕生した"異端児" - 日刊ゲンダイDIGITAL

父親の顕人さんはこう語ります。


「遥大が家でも普段はおとなしくしていたのは、兄貴に逆らったらえらい目に遭う、と思っていたからでしょうね。ただ、2人の兄に駆けっこやテレビゲームで負けると、わんわん泣いた。3兄弟の中で負けん気は一番強い子でした」

格闘技エリートの兄たちに囲まれて育った末っ子が、野球で才能を開花させた。

その負けん気が、ルーキーで日本シリーズを沸かせ、難病と戦い続ける原動力となったのです。


⚾ 中学時代は投手を断念していた

実は、浜口遥大は中学時代、体が小さかったため投手を通用せず断念。ポジションはライトで打順も6、7番でした。

「高校進学後は野球をやめるつもりでいた」

そう語るほど、野球への情熱を失いかけていました。

でも、三養基高校へ進学後、中学時代の先輩に勧められて投手として硬式野球部へ入部。

1年秋の大会から控え投手で公式戦に出場し、3年春の県大会ではエースとしてチームの準々決勝進出に貢献しました。

参照:濵口遥大 - Wikipedia

野球をやめるつもりだった少年が、ドラフト1位でプロ入り。日本シリーズで伝説を作り、多くの人に勇気を与えました。


🌈 第二の人生へ

30歳で現役を引退した浜口遥大。

プロ野球選手としての人生は終わりましたが、人生はこれから。第二の人生が幕を開けます。

「やりきった」

この言葉には、悔いよりも感謝が溢れていました。

地元九州の空の下、浜口遥大の新しい人生が始まります。

お疲れ様でした、浜口遥大。そして、ありがとう。


💡 実は

浜口遥大は中学時代に野球をやめるつもりだった。それが、ドラフト1位でプロ入りし、日本シリーズで伝説を作ったのです。

 


📝 まとめ:浜口遥大引退のポイント

この記事のポイントをまとめます。


  • 30歳で引退表明:2025年11月11日、浜口遥大投手が現役引退を表明
  • トレード1年での引退:2024年12月にDeNAからソフトバンクへトレード、わずか1年で引退
  • 国指定の難病と闘った:胸椎黄色靱帯骨化症という難病で2025年4月に手術、1軍復帰はかなわず
  • 伝説の日本シリーズ:2017年ルーキーで日本シリーズ第4戦に先発、8回途中までノーヒットの快投
  • 地元で終えた野球人生:地元九州での引退を「いい野球人生の締めくくり」と前向きに捉えた

浜口遥大の野球人生は、決して平坦ではありませんでした。でも、その負けん気と感謝の心は、多くの人の記憶に残り続けるでしょう。

あなたは、浜口遥大の引退について、どう思いますか?



❓ よくある質問(FAQ)

Q1: 浜口遥大はなぜ30歳で引退したのですか?

2025年10月27日にソフトバンクから戦力外通告を受け、プレーヤーとして続けたい気持ちにならなかったため引退を決断しました。2025年4月に国指定の難病「胸椎黄色靱帯骨化症」の手術を受け、1軍復帰がかなわなかったことが大きな理由です。

Q2: 胸椎黄色靱帯骨化症とはどんな病気ですか?

背骨の靱帯が石のように硬くなって神経を圧迫する国指定の難病です。プロ野球投手に異常に多く、同年代の一般人と比べて10倍以上の発症率があります。投球動作による背骨への回転ストレスが原因と考えられています。

Q3: 浜口遥大の日本シリーズでの活躍は?

2017年日本シリーズ第4戦でルーキーながら先発し、8回途中までノーヒットの快投を見せました。7回2/3を2安打7奪三振無失点で、3連敗中のチームに勝利をもたらした伝説の投球です。

Q4: 浜口遥大のプロ野球通算成績は?

プロ8年間で通算44勝46敗、防御率3.76という成績を残しました。2017年ルーキーイヤーには10勝を挙げ、魔球チェンジアップを武器に活躍しました。身長173cmと小柄ながら最速151km/hのストレートを投げる左腕投手でした。

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