⚽ 速報
2025年11月17日、川崎フロンターレのDF車屋紳太郎選手が今シーズン限りでの現役引退を発表しました。33歳という年齢での決断です。
その背景には、「ピッチでチームの力になれず苦しい時間が長く続いた」という本人の言葉が重く響きます。
筑波大学から2014年にプロ入りし、川崎フロンターレ一筋で12シーズンをプレーしてきた車屋選手。クラブ史上最多のタイトルラッシュを支え、日本代表としても活躍した名左サイドバックが、なぜ今、ユニフォームを脱ぐことを決めたのでしょうか。

📋 この記事でわかること
⚠️ 車屋紳太郎が引退を決断した理由とは?出場機会減少と怪我の影響
川崎フロンターレの公式発表によると、車屋選手は2025シーズン限りでの現役引退を決断しました。
本人のコメントには、こんな言葉があります。
「ここ数シーズン、ピッチでなかなかチームの力になれず苦しい時間が長く続きました。どこかで区切りをつけなければいけない――その思いが強くなり、この度引退という決断に至りました」
33歳という年齢は、サッカー選手としてはまだ現役を続けられる年齢です。実際、コメント欄には「まだできる」という声も多く寄せられています。
しかし、車屋選手の決断の裏には、近年の出場機会の減少と怪我の影響がありました。
2024年1月、車屋選手は左膝外側半月板損傷で手術を受けています。この怪我からの復帰には時間がかかり、2024年シーズンは思うように出場機会を得られませんでした。
川崎フロンターレは2025年、AFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)で初の決勝進出を果たしました。しかし、その栄光の舞台でも、車屋選手の出場機会は限られていました。
💬 「このクラブ一筋で過ごし、最後はフロンターレで終わりたいという思いが強かった」
車屋選手のこの言葉からは、他のクラブへの移籍という選択肢もあったことが分かります。それでも、川崎一筋で終わることを選んだ。
これこそが、車屋選手が川崎フロンターレというクラブに抱いていた誇りと愛情の表れでしょう。
📝 車屋紳太郎の経歴とプロフィール-熊本から筑波大、そして川崎へ
では、車屋紳太郎選手とはどんな選手だったのでしょうか。
車屋選手は1992年4月5日生まれ、熊本県熊本市出身の33歳。身長180cm、体重75kgという体格で、左サイドバックやセンターバックとしてプレーしてきました。
🎯 車屋紳太郎の基本プロフィール
生年月日:1992年4月5日(33歳)
出身地:熊本県熊本市
身長/体重:180cm / 75kg
ポジション:左サイドバック、センターバック
経歴:大津高校 → 筑波大学 → 川崎フロンターレ
サッカーを始めたのは5歳の時。兄の影響でボールを蹴り始めました。
小学4年生の時、後に川崎フロンターレでチームメイトとなる谷口彰悟選手の誘いで、熊本ユナイテッドSCでプレーを開始。この出会いが、後の車屋選手のサッカー人生を大きく変えることになります。
中学は長嶺中学校、高校はサッカーの強豪・大津高校へ進学。そして2011年、筑波大学に進学しました。
筑波大学では、1年生からレギュラーに定着。関東大学サッカーリーグ戦で新人賞を受賞するなど、早くからその才能を開花させていました。
3年生の夏には、ユニバーシアード日本代表として出場し、銅メダル獲得に貢献しています。
2014年4月、複数クラブとの競合の末、川崎フロンターレへの入団が内定。在学中の同年5月には、JFA・Jリーグ特別指定選手として選手登録されました。
そして2015年、車屋選手の川崎フロンターレでのプロキャリアが本格的にスタートします。
💡 豆知識:「車屋先生」の愛称の由来
ファンやサポーターからは「車屋先生」という愛称で親しまれていました。この愛称、実は教員免許を持っているからではありません。
「車屋先生」という愛称は、車屋選手の文章センスの高さから生まれたものです。公式ブログでの「圧倒的文章センス」がサポーター界隈で人気を博し、いつしか「先生」と呼ばれるようになりました。
そのブログは2022年8月、「ネタが底を尽きてしまい」閉鎖されましたが、今でもSNSでの投稿には「先生特有のキレ味」が垣間見えると言われています。
🏆 川崎一筋12年で獲得したタイトルと実績-黄金期を支えた名左SB
車屋選手の12年間は、まさに川崎フロンターレの黄金期と重なっていました。
プロ入り後の成績を見てみましょう。
📊 車屋紳太郎の通算成績
⚽ J1リーグ:250試合出場、5得点
🏆 天皇杯:34試合出場、3得点
🥤 リーグカップ:28試合出場、1得点
🌏 ACL:30試合出場、3得点
🇯🇵 日本代表:4試合出場
そして2017年と2018年には、Jリーグベストイレブンに2年連続で選出されています。
特に2017年は、車屋選手にとって飛躍の年でした。
全試合に先発出場し、8アシストを記録。左サイドバックとしての高い攻撃力を発揮しながら、川崎の初優勝に大きく貢献しました。
興味深いのは、ベストイレブンに選出された時のポジションが、本職の左サイドバックではなくセンターバックだったことです。それだけ、車屋選手は守備の要としても高く評価されていました。
2018年も主力として活躍。この年も31試合に出場し、2年連続でJリーグベストイレブンに選出されました。
🏅 車屋選手が経験したタイトル(2014-2025)
- J1リーグ優勝:4回(2017年、2018年、2020年、2021年)
- 天皇杯優勝:2回(2020年、2023年)
- YBCルヴァンカップ優勝:1回(2019年)
- ACLE準優勝:1回(2025年)
2017年の初優勝から始まった川崎フロンターレのタイトルラッシュ。車屋選手は、その中心にいた選手の一人でした。
特に2017年と2018年の連覇は、川崎フロンターレにとって歴史的な快挙でした。オリジナル10(Jリーグ発足時からの10クラブ)以外のクラブで初めてのJリーグ連覇。
車屋選手は、その歴史的瞬間を最前線で支えていました。
✨ 2025年の挑戦
車屋選手のプロキャリア最後のシーズン、川崎フロンターレはAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)で初の決勝進出を果たしました。5月3日の決勝では地元アルアハリに0-2で敗れましたが、この準優勝は川崎史上初の快挙でした。
🤝 谷口彰悟との絆-小学校から川崎、そして日本代表へ続く絆
車屋選手を語る上で欠かせないのが、谷口彰悟選手との関係です。
二人は熊本県熊本市出身の幼馴染。谷口選手が1歳年上で、実家は近所同士でした。
🎮 小学生時代のエピソード
小学生時代は、毎日のように遊戯王のカードバトルで遊んでいた仲だったそうです。
小学4年生の時、谷口選手の誘いで車屋選手は熊本ユナイテッドSCに加入。ここから二人のサッカー人生が本格的に重なり始めます。
Number Webの記事によると、二人の経歴は驚くほど重なっています。
📚 ずっと一緒だった二人の道のり
- 小学校:熊本市立長嶺小学校(同じ)
- 中学校:熊本市立長嶺中学校(同じ)
- 高校:熊本県立大津高校(同じ)
- 大学:筑波大学(同じ)
- プロ:川崎フロンターレ(同じ)
- 日本代表候補にも同時に初選出
幼稚園時代から大学、プロ、そして日本代表まで。これほど長く、同じ道を歩み続けた二人の選手は、日本サッカー界でも極めて珍しい存在でしょう。
2014年、車屋選手が川崎フロンターレに特別指定選手として登録された時、すでに谷口選手は川崎でプレーしていました。
公式HPのプロフィールで、車屋選手は「尊敬する人」「憧れ・目標とする選手」など4つの項目で、谷口選手の名前を挙げていたそうです。
💭 「ずっと追い越したい一心でやってきた」と語る車屋選手。
一方の谷口選手は「紳太郎には負けられない」と応えます。
お互いを高め合い、刺激し合いながら、二人は川崎フロンターレの黄金期を築いてきました。
しかし、今回の引退発表についたコメントには、こんな言葉もありました。
「谷口彰悟とは小学校以来、川崎に来るまで、さらにベストイレブン2回取るまでは、ずっと一緒に成長してきたのだが、怪我のせいで最後は差がついてしまったな」
2017年と2018年、二人は揃ってJリーグベストイレブンに選出されています。しかしその後、怪我の影響で車屋選手の出場機会は徐々に減少していきました。
谷口選手は2023年シーズン限りで川崎を離れ、現在はヴィッセル神戸でプレーしています。そして2025年、車屋選手も引退を決断しました。
長い長い二人のサッカー人生が、それぞれの形で一つの区切りを迎えたのです。
🌟 車屋紳太郎のセカンドキャリアは?今後の展望と家族
では、車屋選手は引退後、どんな道を歩むのでしょうか。
現時点では、セカンドキャリアについての公式発表はありません。
ただ、ファンやサポーターからは「指導者としてクラブに戻ってきてほしい」という声が多く聞かれます。
🎓 指導者としての可能性
「車屋先生」という愛称で親しまれた文章センスの高さ。真面目で温かい人柄。
そして12年間で培った豊富な経験。これらは、指導者として大きな武器になるでしょう。
車屋選手は結婚しており、2人の息子さんがいます。
長男の大翔(ひろと)くんは2016年1月2日生まれ。次男の賢人(けんと)くんは2017年4月2日生まれです。
第一子の誕生時には、こんなコメントを残しています。
「新年の1月2日に長男の大翔が産まれました。新しい家族が増え、とても嬉しく思っています。妻と大翔のためにも、今まで以上に真摯にサッカーに取り組んでいきたいと思います」
第二子の誕生時にも、このようなコメントがありました。
「これからは2児の父親として、より一層サッカーに打ち込み、子供達にかっこいい姿を見せれるように頑張っていきたいと思います」
家族を大切にし、子供たちに誇れる姿を見せようと努力し続けてきた車屋選手。引退後は、これまで以上に家族との時間を大切にするのかもしれません。
💪 そして車屋選手は、引退コメントの最後をこう締めくくっています。
「今シーズンも残り約3週間、フロンターレの一員としてサッカーができる時間を楽しみたいと思います」
川崎フロンターレの2025シーズンは、まだ終わっていません。車屋選手にとって最後のシーズン、最後の数週間。
ピッチに立てるかどうかは分かりません。それでも、車屋選手は「フロンターレの一員」として、最後までチームとともに戦い続けるのです。
📌 まとめ
車屋紳太郎選手の現役引退について、重要なポイントをまとめます。
- 引退理由:2025シーズン限りで引退。出場機会の減少と怪我(2024年1月に左膝手術)が影響。「川崎一筋で終わりたい」という強い思いで決断
- 経歴:1992年4月5日生まれ、33歳。熊本県出身。大津高校、筑波大学を経て、2014年に川崎フロンターレへ。「車屋先生」の愛称は文章センスの高さから
- 実績:J1通算250試合出場5得点。日本代表4試合出場。Jリーグベストイレブン2回(2017年、2018年)。川崎の黄金期(J1優勝4回、天皇杯優勝2回、ルヴァンカップ優勝1回、ACLE準優勝1回)を支えた
- 谷口彰悟との絆:小学校から大学、プロ、日本代表まで常に一緒。幼稚園時代は遊戯王で遊ぶ仲。お互いを高め合いながら川崎の黄金期を築いた
- 今後:セカンドキャリアは未定。結婚しており、2人の息子がいる。残り約3週間、川崎の一員として最後のシーズンを戦う
12年間、川崎フロンターレ一筋でプレーし続けた車屋紳太郎選手。その誠実な姿勢とプロフェッショナリズムは、多くのファンの心に刻まれています。
残り約3週間のプロサッカー選手としての時間を、車屋選手がどのように過ごすのか。最後の勇姿を、ファンは温かく見守りたいと思います。
車屋紳太郎選手、12年間本当にお疲れ様でした。
❓ よくある質問(FAQ)
Q1: 車屋紳太郎選手はなぜ33歳で引退を決めたのですか?
出場機会の減少と怪我が主な理由です。2024年1月に左膝外側半月板損傷で手術を受け、近年は思うように試合に出られなくなりました。「川崎一筋で終わりたい」という強い思いから、今シーズン限りでの引退を決断しました。
Q2: 車屋紳太郎選手の主な実績は何ですか?
J1通算250試合出場5得点、日本代表4試合出場の実績があります。2017年と2018年にはJリーグベストイレブンに2年連続で選出されました。川崎フロンターレではJ1優勝4回、天皇杯優勝2回、ルヴァンカップ優勝1回、ACLE準優勝1回を経験しています。
Q3: 谷口彰悟選手と車屋紳太郎選手の関係は?
二人は熊本県出身の幼馴染で、小学校、中学校、高校、大学が全て同じでした。プロの契約先も川崎フロンターレで同じ、日本代表候補にも同時に選出されています。小学生時代は毎日のように遊戯王のカードバトルで遊んでいた仲です。
Q4: 車屋紳太郎選手の今後のセカンドキャリアは?
現時点ではセカンドキャリアについての公式発表はありません。ファンからは「車屋先生」という愛称もあり、指導者としてクラブに戻ってきてほしいという声が多く聞かれます。結婚しており2人の息子がいるため、家族との時間を大切にする可能性もあります。
📚 参考文献
- 川崎フロンターレ公式 - 車屋紳太郎選手 現役引退のお知らせ
- Wikipedia - 車屋紳太郎
- Wikipedia - 川崎フロンターレ
- Number Web - 谷口彰悟と車屋紳太郎の"熊本兄弟"