2025年9月29日、競馬界に一つの引退ニュースが届きました。
2024年の高松宮記念(競馬の最高峰レースの一つ)を制したマッドクールが、左前脚の怪我により現役を引退することになったのです。
この発表を受けて、マッドクールを何度も勝利に導いた坂井瑠星騎手(28歳)が、自身のX(旧ツイッター)で心温まるメッセージを投稿しました。
「嬉しい思いも悔しい思いもたくさん経験させてくれました。競走生活お疲れ様。良いお父さんになれますように」
この「良いお父さんに」という言葉に、多くの競馬ファンが感動。「泣ける」「素敵な関係」とSNSで反響が広がっています。
未勝利の頃から一緒に戦い、日本一の舞台まで駆け上がった二人の物語。そして、マッドクールの引退を決断させた怪我の真相とは?
📋 この記事でわかること
🏇 マッドクールが引退、坂井騎手の温かいコメントが話題に
2025年9月29日、マッドクールの引退がnetkeibaで正式に発表されました。所有するサンデーサラブレッドクラブが公式に発表したものです。
マッドクールは6歳の牡馬(オス馬)で、通算成績は17戦6勝。総獲得賞金は約3億6千万円という実績を残しました。
最後のレースは2025年6月の安田記念で、残念ながら10着に終わっています。本来なら9月のスプリンターズステークスで復帰する予定でしたが、怪我の悪化により断念。そして、この引退発表となりました。
💫 坂井騎手とマッドクールの深い絆
坂井瑠星騎手は、マッドクールの17戦のうち12戦で騎乗しています。
つまり、10回レースに出るうち7回以上は坂井騎手が手綱を取っていたということ。これは競馬界では非常に珍しい、強い信頼関係の証です。
坂井騎手がXに投稿したコメント「良いお父さんになれますように」は、マッドクールがこれから種牡馬(次世代の競走馬を生み出すお父さん馬)として新しい人生を歩むことへの応援メッセージ。
レースで共に戦った仲間への、温かい励ましの言葉なんです。
💡 実は、坂井騎手がマッドクールに騎乗した割合は約70%。これほど長く一緒に戦ったコンビは、まさに人馬一体の関係だったと言えるでしょう。
次は、マッドクールの引退を決断させた怪我について見ていきましょう。
🩺 引退を決断させた「繋靭帯炎」とは? 再発のリスクと判断
マッドクールが引退を決断した理由。それは「左前肢の繋靭帯炎(けいじんたいえん)」という怪我です。
🤔 繋靭帯炎ってどんな怪我?
繋靭帯炎は、馬の脚の靭帯が炎症を起こす怪我のこと。人間で例えるなら、アキレス腱を痛めるようなイメージです。
馬の脚の中でも、地面に着地した時の衝撃を吸収する大切な部分。ここが炎症を起こすと、走るたびに痛みが出て、さらに悪化してしまうんです。
⚠️ 繋靭帯炎の厄介なポイント
一度回復しても、運動強度を上げると再発しやすいという特徴があります。つまり、治ったと思ってレースに出ても、またすぐに痛めてしまう可能性が高いんです。
📊 マッドクールの症状と判断
マッドクールは、9月のスプリンターズステークスに向けて調整中、左前肢の繋靭帯に腫れが見つかりました。
しかも、その腫れの範囲が広がっていることが判明。症状が慢性化していると診断されたんです。
関係者が協議した結果、「休養が必要なだけでなく、再発の可能性も高い」という理由で、引退を決断しました。
これ以上無理をさせて、取り返しのつかない大怪我をするリスクを避けたわけです。マッドクールの健康を第一に考えた、愛情ある決断だったと言えるでしょう。
💡 実は、繋靭帯炎は「運動すればするほど悪化する」という厄介な特徴があります。競走馬として全力で走り続けることが難しいと判断されたんですね。
では、坂井騎手とマッドクールはどのようにして絆を深めていったのでしょうか?
🌟 坂井瑠星騎手との深い絆 未勝利から高松宮記念制覇までの軌跡
坂井瑠星騎手とマッドクールの物語は、未勝利戦(まだ1度も勝ったことがない馬のレース)から始まりました。
🤝 「高松宮記念に行きましょう」という約束
マッドクールがデビューしたのは2022年1月。最初のレースでは3着と勝てませんでした。
しかし、次の未勝利戦で初めて坂井騎手が騎乗し、見事に勝利。その時、坂井騎手は関係者と「高松宮記念に行きましょう」と話していたそうです。
高松宮記念とは、芝1200メートルを走る春のスプリント(短距離)王を決める、日本競馬の最高峰レース。
未勝利を勝ったばかりの馬で「日本一を目指そう」と約束したんです。これって、すごい話だと思いませんか?
坂井騎手は高松宮記念後のコメントで、こう振り返っています。
「この馬には未勝利の時から乗せていただいていて、未勝利を勝った時から、担当者の方と、高松宮記念に行きましょうという話をしていました」
💡 実は、未勝利時代から「高松宮記念に行く」と約束し、本当に実現させたコンビ。これこそ、競馬における人馬一体の理想形なんです。
😢 2023年の悔しさから2024年の栄光へ
マッドクールは未勝利勝利後、快進撃を続けました。そして2023年秋、初めてのG1レース・スプリンターズステークスに挑戦。
結果は2着。あと少しで日本一というところまで迫りましたが、惜しくも届きませんでした。
坂井騎手は「去年の秋に悔しい思いをしたので、ここでリベンジすることができて、本当に嬉しいです」とコメント。
この悔しさをバネに、2024年3月24日の高松宮記念で、ついに約束を果たすことになるのです。
坂井騎手は1997年生まれの28歳。父親も元騎手という競馬一家で育ち、2016年にデビューした若手のトップジョッキーです。
マッドクールとの関係は、坂井騎手のキャリアにとっても特別なものだったはずです。
そして迎えた運命の日。高松宮記念での激闘を振り返りましょう。
🏆 2024年高松宮記念の感動 アタマ差の激闘を振り返る
2024年3月24日、中京競馬場。雨が降る中、高松宮記念が開催されました。
☔ 重馬場での完璧な騎乗
この日、馬場は「重」。雨の影響で地面がぬかるんでいる、馬にとって走りにくい状態でした。
マッドクールは2番枠からスタート。坂井騎手は最初から好位置(前の方)をキープします。
そして直線。ここで坂井騎手は、内側のラチ(柵)ギリギリを攻めるという大胆な作戦に出ました。
重馬場では内側の方が走りやすいことが多いのですが、ギリギリを走るのは高度な技術が必要。少しでもズレたら、タイムをロスしてしまうからです。
🎯 坂井騎手のコメント
「直線も内ラチ沿いギリギリを攻めていって、思い通りのレースができました」
まさに計算通りの完璧な騎乗だったんです。
🎬 アタマ差の劇的な勝利
ゴール前、2着のナムラクレア(牝馬)が猛烈な勢いで追い上げてきます。
坂井騎手は「最後は(ナムラクレアが)すごい勢いで迫ってきたので、わからなかったですが、何とか勝てて良かったです」と振り返っています。
勝ち方は「アタマ差」
馬の頭一つ分という、ほぼ同時ゴールのような僅差
写真判定で勝敗が決まるほどの接戦。まさに手に汗握る展開でした。
勝ちタイムは1分08秒9(重馬場)。6番人気だったマッドクールが、見事にG1初制覇を果たした瞬間です。
レース後のコメントでは、坂井騎手の喜びと、マッドクールへの信頼が伝わってきます。
「まだ緩さを残している段階でG1を勝てましたし、まだまだ伸びしろがある馬だと思います。こうして無事にG1を勝つことができて良かったです」
💡 実は、この高松宮記念は重馬場で内ラチギリギリを攻めるという、超高難度の騎乗でした。映画のような劇的な展開だったんです。
さて、マッドクールのこれからの人生について見ていきましょう。
🌱 種牡馬としての新たな人生 優駿スタリオンステーションで
マッドクールは来春(2026年春)から、種牡馬としての新しい人生を歩み始めます。
🏞️ 優駿スタリオンステーションとは?
マッドクールが向かうのは、北海道新冠町にある優駿スタリオンステーションという牧場です。
ここは、かつて「灰色の怪物」と呼ばれた伝説の競走馬・オグリキャップも余生を過ごした場所。優駿スタリオンステーションでは、多くの名馬が種牡馬として活躍してきました。
種牡馬とは、次世代の競走馬を生み出すお父さん馬のこと。マッドクールの子どもたちが、将来のG1レースで活躍する可能性があるんです。
💝 「良いお父さんに」の真意
坂井騎手が贈った「良いお父さんになれますように」というコメント。これは、種牡馬としての成功を願う言葉なんです。
競走馬として一緒に戦った仲間が、今度はお父さん馬として活躍することを応援している。
そこには、ただの騎手と馬という関係を超えた、深い愛情が感じられます。
マッドクールは、これからも競馬界に貢献し続けることになります。いつか、マッドクールの子どもが高松宮記念を走る日が来るかもしれません。
🚗 ファンも会いに行ける
優駿スタリオンステーションは、種牡馬の見学ができる施設。夏から秋にかけて、予約制で見学が可能です。
マッドクールに会いたいファンは、北海道新冠町まで足を運べば、元気な姿を見ることができるんです。
💡 実は、マッドクールという馬名は、スペイン・マドリードで毎年開催される音楽フェスティバル「Mad Cool Festival」が由来。音楽フェスの名前って、意外じゃないですか?
最後に、マッドクールの競走馬としての記録を振り返ってみましょう。
📊 マッドクールの戦績と血統 ダークエンジェル産駒の評価
最後に、マッドクールの競走馬としての記録を振り返ってみましょう。
🏅 通算成績と主な勝鞍
マッドクールの詳細情報によると、通算成績は以下の通りです。
📈 マッドクールの戦績
- 通算:17戦6勝(うち海外2戦0勝)
- 総獲得賞金:約3億6千万円
- 主な勝鞍:
- 2024年 高松宮記念(G1)
- 2024年 セントウルステークス(G2)
- 2023年 阪神カップ(G2)2着
- 2023年 スプリンターズステークス(G1)2着
G1を1勝、G2を1勝という立派な成績です。
🚑 ハンデを乗り越えた競走生活
実は、マッドクールは2歳の春に右前脚の剥離骨折を発症。これがデビューを約1年遅らせることになりました。
通常、競走馬は2歳の夏から秋にデビューしますが、マッドクールは3歳の1月までデビューできなかったんです。
さらに、脚元に問題があり、レースとレースの間隔を長く空ける必要がありました。
つまり、ハンデを抱えながらの競走生活。それでもG1を制覇したことが、マッドクールの能力の高さを証明しています。
🧬 ダークエンジェル産駒の特徴
マッドクールの父はダークエンジェルというイギリスの競走馬。
ダークエンジェルは2007年にミドルパークステークス(イギリスのG1レース)を勝った名馬で、種牡馬としても多くの活躍馬を出しています。
特にスプリント(短距離)能力に優れた馬が多く、マッドクールもその血を受け継いだと言えるでしょう。
母はマッドアバウトユーというアイルランドの馬。母の父はインディアンリッジという、こちらも短距離で活躍した血統です。
まさに短距離のスペシャリストとして生まれた、サラブレッドなんです。
💡 実は、2歳春の骨折がデビューを1年遅らせていたという事実。それでもG1を勝ったマッドクール、本当にすごい馬だったんですね。
📝 まとめ:マッドクールと坂井騎手の物語
2025年9月29日、マッドクールが現役を引退しました。引退理由は左前脚の繋靭帯炎の慢性化。これ以上の競走継続が難しいという、苦渋の決断でした。
坂井瑠星騎手が贈った「良いお父さんになれますように」というコメントには、種牡馬としての成功を願う温かい気持ちが込められています。
✅ この記事のポイント:
- マッドクールは通算17戦6勝、総獲得賞金約3億6千万円の実績
- 2024年高松宮記念をアタマ差で制し、G1初制覇
- 坂井騎手とは未勝利時代から「高松宮記念に行く」と約束していた
- 左前脚の繋靭帯炎の慢性化により引退を決断
- 来春から北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬として新生活
- 2歳春の骨折でデビューが遅れるなど、ハンデを乗り越えてのG1制覇だった
未勝利から日本一へ。そして、種牡馬として新たな人生へ。
マッドクールは、これからも競馬界に夢と感動を届け続けるでしょう。いつか、マッドクールの子どもたちが、同じ高松宮記念の舞台で活躍する日が来るかもしれません。
「競走生活お疲れ様。
そして、種牡馬としての新しい人生、頑張ってね」
多くの競馬ファンが、そんな思いを込めて、マッドクールの第二の人生を見守っています。
あなたは、マッドクールと坂井騎手の物語に、どんな思いを抱きましたか?
❓ よくある質問(FAQ)
Q1: マッドクールはなぜ引退したのですか?
マッドクールは左前脚の繋靭帯炎が慢性化し、症状が改善せず再発の可能性も高いと判断されたため引退しました。馬の健康を第一に考えた決断です。
Q2: 坂井騎手の「良いお父さんに」コメントの意味は?
マッドクールが種牡馬(次世代の競走馬を生み出すお父さん馬)として成功することを願うメッセージです。競走馬として共に戦った仲間への温かい応援の言葉なんです。
Q3: 2024年高松宮記念はどのような勝ち方でしたか?
重馬場(雨で地面がぬかるんだ状態)の中、坂井騎手が内ラチギリギリを攻める完璧な騎乗で、2着ナムラクレアとアタマ差(ほぼ同着)の劇的な勝利を収めました。
Q4: マッドクールはどこで種牡馬生活を送りますか?
北海道新冠町にある優駿スタリオンステーションで種牡馬として新生活を始めます。来春(2026年春)からの開始予定で、予約制で見学も可能です。
Q5: 坂井騎手とマッドクールはどのくらい一緒に走りましたか?
マッドクールの17戦のうち12戦で坂井騎手が騎乗しており、騎乗率は約70%。未勝利時代から高松宮記念制覇まで、長く深い信頼関係で結ばれたコンビでした。
Q6: マッドクールの通算成績はどうでしたか?
通算17戦6勝(うち海外2戦0勝)で、総獲得賞金は約3億6千万円。主な勝鞍は2024年高松宮記念(G1)と2024年セントウルステークス(G2)です。