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ペペ桜井が死去!N響と競演できたのにお笑い転身?芸名は勝手につけられた

NHK交響楽団と競演できるギタリストが、
なぜお笑いの世界へ入ったのか

ギター漫談家のペペ桜井さんが、12月27日に90歳で亡くなりました。

クラシックギターの名手から芸人へ転身し、亡くなる1年前まで寄席に立ち続けた「生涯現役」の人。

その異色の経歴と、芸名の意外すぎる由来をまとめます。

ペペ桜井が死去!N響と競演できたのにお笑い転身?芸名は勝手につけられた

ペペ桜井が死去!N響と競演できたのにお笑い転身?芸名は勝手につけられた

 

 

 

 

ペペ桜井が死去!訃報の詳細

ペペ桜井さんは2025年12月27日、老衰のため90歳で亡くなりました

落語協会の公式発表によると、12月29日に訃報が公表されています。

当協会員のペペ桜井(本名:桜井孝吉)が、令和7年12月27日(土)老衰の為、永眠いたしました。(90歳)

葬儀は近親者のみで執り行われます。
最後の寄席出演は、令和7年1月3日の鈴本演芸場でした。

死因は老衰。90歳での大往生でした。

葬儀は近親者のみで行われるため、一般向けのお別れ会などは予定されていません。

 

亡くなる1年前まで現役だった

💡 注目ポイント

最後の寄席出演は2025年1月3日
つまり、亡くなるわずか1年前まで高座に上がっていました。

読売新聞は「とぼけた味わいの芸で人気」と評しており、最晩年まで観客を楽しませていたことがわかります。

 

「生涯現役」がなぜ珍しいのか

寄席芸人の世界では、80代で引退する人が多いとされています。

体力的な問題だけでなく、「高座に上がる」という行為自体が観客との真剣勝負。
集中力や瞬発力が求められます。

90歳まで現役を続けたペペ桜井さんは、まさに「芸に生きた人」といえるでしょう。

2024年には落語協会表彰も受賞しており、業界からも功績が認められていました。

では、そもそもペペ桜井さんとはどんな人物だったのでしょうか。

 

 

 

ペペ桜井のプロフィール・経歴

ペペ桜井さんは、クラシックギタリストからお笑いに転身した異色の経歴を持つ人物でした。

 

基本プロフィール

項目 内容
本名 桜井孝吉(さくらい・こうきち)
生年月日 1935年10月10日
没年月日 2025年12月27日(90歳)
出身地 東京都新宿区
職業 ギター漫談家
所属 落語協会

 

芸歴の流れ

Wikipediaによると、ペペ桜井さんの芸歴は以下のとおりです。

  • 幼少期:クラシックギターを習い始める
  • 18歳(1953年頃):NHKに初出演
  • 23歳(1958年頃):お笑い界に転身
  • 1965年:トリオ.ロス.セニートを結成
  • 1966年:竹内&桜井を結成
  • その後:ソロで活動
  • 1990年:落語協会に入会
  • 2024年:落語協会表彰
  • 2025年1月3日:最後の寄席出演
  • 2025年12月27日:死去

 

NHK交響楽団と競演レベルだった

実は、18歳でNHKに出演した頃のペペ桜井さんは、
小沢征爾指揮のNHK交響楽団と競演できるほどの腕前を持っていたとされています。

クラシックギタリストとして十分にやっていけるレベルだったわけです。

 

なぜお笑いに転身したのか

ここで疑問が浮かびます。
なぜ、そこまでの腕前を持ちながらお笑いに転身したのか。

1950年代後半の日本は、テレビ放送が始まったばかりの時代。
お笑い番組が次々と生まれ、「芸人」という職業が新しい可能性を持ち始めていました。

クラシックの世界は競争が激しく、一方で演芸の世界は「個性」が武器になる。
ギターという特技を持ちながら、人を笑わせることに惹かれたのかもしれません。

結果的に、この選択が72年間の芸人人生につながりました。

この転身を導いたのが、師匠であるパン猪狩でした。

 

 

 

師匠・パン猪狩とは何者か

ペペ桜井さんの師匠であるパン猪狩(1916年〜1986年)は、昭和を代表する伝説的コメディアンでした。

デイリースポーツは「昭和の伝説的コメディアンと称された」と報じています。

 

パン猪狩の経歴

パン猪狩のWikipediaによると、その経歴はかなり波乱に富んでいます。

  • 日活の大道具、東宝舞台部を経て浅草金龍館でデビュー
  • 戦後は進駐軍キャンプや日劇ミュージックホールで活躍
  • ウッドベースを弾きながら芸を見せるボードビリアン

「ボードビリアン」とは、歌や踊り、楽器演奏を組み合わせた芸人のこと。
ペペ桜井さんの「ギター漫談」も、この流れを汲んでいます。

 

弟子には有名芸人がズラリ

パン猪狩の門下には、ペペ桜井さん以外にも多くの著名芸人がいました。

  • 早野凡平(帽子を使った芸で有名)
  • 坂本新兵
  • 世志凡太(コメディアン)

いずれも昭和の演芸界を支えた人たちです。

 

実は女子プロレスの創設者でもある

🔥 意外な事実

パン猪狩は、日本の女子プロレス創設に関わった人物でもあるのです。

1948年、弟のショパン猪狩と共に三鷹市で道場を開設。
妹の猪狩定子を含む女性たちに格闘技を教えたことが、日本の女子プロレスの始まりとする説があります。

コメディアンが女子プロレスを作ったというのは、なかなかのギャップです。

 

弟ショパン猪狩は「レッドスネーク、カモン!」の人

ちなみに、パン猪狩の弟であるショパン猪狩は、東京コミックショーとして活躍した芸人。

「ヘェ〜イ!レッドスネェ〜ク!カモォ〜ン!」のフレーズで笛を吹き、壺からカラフルな蛇のぬいぐるみを出す芸で一世を風靡しました。

昭和の演芸番組を見ていた世代なら、記憶にある人も多いはず。

こうした師匠のもとで磨かれたペペ桜井さんの芸風とは、どのようなものだったのでしょうか。

 

 

 

ペペ桜井の芸風と代表ネタ

ペペ桜井さんは、「ギター漫談」という唯一無二のスタイルで知られていました。

 

ギター漫談とは

東京演芸協会のプロフィールによると、ペペ桜井さんの芸風は以下のとおりです。

  • ギターを弾きながら軽妙なトークを展開
  • クラシックギターの技術を活かした演奏
  • ハーモニカを吹きながら歌うパフォーマンス

代表的なネタは、映画「禁じられた遊び」のテーマ曲をギターで演奏するもの。
クラシックの名曲を弾きながら、合間にトークを挟んで笑いを取るスタイルでした。

 

「とぼけた味わい」が愛された理由

読売新聞は「とぼけた味わいの芸で人気」と評していますが、この「とぼけた味わい」こそがペペ桜井さんの真骨頂でした。

派手なリアクションや大声で笑いを取るタイプではなく、淡々とした語り口の中に「おや?」と思わせる間がある。

観客が「あれ、今の面白かったな」と後からじわじわ来るタイプの芸です。

こういう芸は、一度ハマると長く愛されます。
派手な芸は飽きられやすいけれど、「味わい」のある芸は何度見ても楽しめる。

72年間現役を続けられた理由のひとつは、この芸風にあるのかもしれません。

 

出囃子「虎退治」の意味

ちなみに、ペペ桜井さんの出囃子(高座に上がるときのテーマ曲)は「虎退治」でした。

これは加藤清正の朝鮮出兵時の逸話に由来する曲。
「勇壮さ」を表す曲ですが、とぼけた芸風とのギャップが面白いですね。

この個性的な芸人には、芸名にも面白いエピソードがあります。

 

ペペ桜井の芸名の由来が意外すぎる

「ペペ桜井」という芸名は、実は本人が付けたものではありません

 

旧芸名は「小田切トシカズ」

Wikipediaによると、ペペ桜井さんは当初「小田切トシカズ」という芸名で活動していました。

「小田切」という名字は本名ではなく芸名ですが、どこかクラシカルな響きがあります。

 

日劇で勝手につけられた

😲 驚きのエピソード

日劇(日本劇場)に出演した際、
なぜか勝手に「ペペ桜井」という名前をつけられてしまったとのこと。

誰がなぜその名前にしたのかは不明。
本人の意思とは関係なく、突然「ペペ」になったわけです。

 

60年以上その名前で活動し続けた

普通なら抗議して元の名前に戻すところですが、ペペ桜井さんはそのまま「ペペ桜井」を受け入れました。

結果的に、60年以上この名前で活動することになります。

 

このエピソードから見える人柄

このエピソードからは、ペペ桜井さんの人柄が垣間見えます。

「勝手につけられた」と怒るのではなく、「まあいいか」と受け入れる。
こだわらない、とらわれない。

この柔軟さが、長い芸人生活を支えたのかもしれません。
変化を受け入れ、流れに身を任せながらも、芸の本質は守り続ける。

「とぼけた味わい」という評価とも、どこか通じるものがあります。

最後に、ペペ桜井さんの訃報に対する世間の反応を見てみましょう。

 

 

 

世間の反応・追悼の声

ペペ桜井さんの訃報を受け、SNSでは多くの追悼の声が寄せられています

 

代表的なコメント

X(旧Twitter)では、以下のような声が見られました。

「90歳まで舞台に立ち続けた人生、本当に尊敬しかありません」
「クラシックギターから漫談、落語へ――唯一無二の芸人人生でした」
「ペペ桜井さんの芸は、静かだけど確実に記憶に残る」
「白鳥師匠を若い時から励ましてくれたと聞いてから、ペペ先生の高座を見る度にそのことを思い出していました」

ライブドアニュースの訃報投稿には約2万件の表示があり、82件の返信、60件のいいねが寄せられています。

 

追悼コメントの傾向

これらのコメントを見ると、いくつかの傾向が見えてきます。

1. 「生涯現役」への敬意

90歳まで現役だったことへの驚きと尊敬が多く見られます。
「自分もこうありたい」という憧れの声も。

2. 「静かだけど記憶に残る」という評価

派手さではなく「味わい」を評価する声が目立ちます。
これは読売新聞の「とぼけた味わい」という評価とも一致しています。

3. 後輩芸人への影響

三遊亭白鳥師匠を励ましていたというエピソードに触れる声もあり、後輩への面倒見の良さがうかがえます。

派手な話題で注目を集めるタイプではなかったからこそ、知る人ぞ知る存在として深く愛されていたことがわかります。

 

まとめ

ギター漫談家のペペ桜井さんが2025年12月27日、老衰のため90歳で亡くなりました。

📌 この記事のポイント

  • 死因は老衰、享年90歳
  • 最後の寄席出演は2025年1月3日の鈴本演芸場(亡くなる1年前まで現役)
  • NHK交響楽団と競演レベルのギタリストからお笑いに転身
  • 師匠は昭和の伝説的コメディアンパン猪狩(女子プロレス創設にも関与)
  • 芸名「ペペ桜井」は日劇で勝手につけられたもの
  • 「とぼけた味わいの芸」で72年間愛され続けた

クラシックギターの名手でありながらお笑いの道を選び、勝手につけられた芸名を受け入れ、90歳まで高座に立ち続けた。

その柔軟さと芸への情熱が、多くの人に愛された理由なのかもしれません。

ペペ桜井さんのご冥福をお祈りいたします。

 

❓ よくある質問

Q. ペペ桜井の死因は何ですか?

老衰です。2025年12月27日に90歳で亡くなりました。

Q. ペペ桜井の本名は?

桜井孝吉(さくらい・こうきち)です。

Q. ペペ桜井の師匠は誰?

パン猪狩と二代目古今亭圓菊です。

Q. 芸名「ペペ桜井」の由来は?

日劇出演時に勝手につけられた名前で、本人の意思ではありません。

 

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