2025年10月24日午後9時21分、タイ国民から「タイの母」として深く愛されたシリキット王太后が、バンコクのチュラロンコン病院で静かに息を引き取りました。93歳でした。
タイ政府は30日間の娯楽活動自粛を要請しましたが、「禁止ではない」として柔軟な対応を示しています。プミポン前国王を66年間支え、タイシルク産業を救った「国母」とは、どんな方だったのでしょうか。

📖 この記事でわかること
🕊️ シリキット王太后が93歳で死去、タイ全土が深い悲しみに包まれる
タイ王室は2025年10月25日午前1時58分、シリキット王太后が死去したことを正式に発表しました。
AFPの報道によると、王太后は10月24日午後9時21分、首都バンコクのチュラロンコン病院で息を引き取りました。93歳でした。
死因は血液感染症の悪化です。王太后は複数の病気を抱えており、2019年9月から入院して療養生活を続けていました。
つまり、約6年間もの長い療養期間を経ての死去でした。
タイのニュースキャスターは25日早朝から黒い服を着て放送し、国全体が深い悲しみに包まれています。街中には王太后の肖像画が飾られ、多くの国民が涙を流しながら哀悼の意を表しています。
ワチラロンコン国王(現在のタイ国王)は、王室メンバーに対して1年間の喪に服すよう指示を出しました。シリキット王太后は現国王の母であり、2016年に亡くなったプミポン前国王の妻です。
実は、王太后は2012年に脳卒中で倒れて以来、公の場に姿を見せる機会がほとんどありませんでした。それでも、タイ国民にとって「国の母」として特別な存在であり続けたのです。
では、「タイの母」と呼ばれたシリキット王太后とは、どのような人物だったのでしょうか。
👑 「タイの母」と呼ばれたシリキット王太后とは?プミポン前国王を支えた66年
シリキット王太后は、1932年8月12日にバンコクで生まれました。つまり、昭和7年生まれです。今の10代から見れば、ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃんの世代ですね。
王太后の父親は外交官で、若い頃はパリで音楽と語学を学んでいました。そしてスイスに滞在していた時、後にタイ国王となるプミポン王子と出会いました。
💕 1950年、シリキットが17歳の時に二人は結婚しました。この結婚生活は2016年にプミポン前国王が亡くなるまで、なんと66年間も続きました。
おじいちゃんおばあちゃんが結婚した頃から、ずっと夫婦だったということです。
二人の間には1男3女が生まれました。長男が現在のワチラロンコン国王です。
🌸 「タイの母の日」になった誕生日
実は、シリキット王太后の誕生日である8月12日は、タイでは「母の日」として国民の祝日になっています。まさに「タイの母」を象徴する存在だったのです。
王太后はロイターの報道によると、あのジャクリーン・ケネディ元米大統領夫人に例えられるほどのファッションアイコンでした。優雅なドレス姿で世界各国を訪問し、タイ王室の威厳と親しみやすさを両立させた人物として知られています。
🇯🇵 日本との深い友情
シリキット王太后は日本の皇室とも深い交流がありました。
1963年5月には、プミポン前国王と共に日本を公式訪問しています。その後も1981年、1993年、1997年と3回にわたって非公式で日本を訪れました。
特に印象的なのは、2011年の東日本大震災の時です。王太后は前国王と共に2600万円(高級車約10台分)を寄付しました。
💚 実は、王太后の孫にあたるプム・ジェンセン王子が、2004年のスマトラ島沖地震で亡くなっています。その時、日本が復興支援に尽力したことへの恩返しという意味を込めた寄付でした。
タイ王室の温かい心が伝わるエピソードです。
次に、王太后が「国母」として愛された理由である、その具体的な功績を見ていきましょう。
✨ タイシルク復興と農村支援——シリキット王太后が残した大きな功績
シリキット王太后が「国母」として愛された最大の理由は、その功績にあります。特に、タイシルク産業の復興と農村部の貧困対策に生涯を捧げました。
🧵 タイシルク産業を救った「SUPPORT財団」
実は、今やタイの観光名物となっているタイシルクは、20世紀半ばには衰退の危機に瀕していました。機械での大量生産が普及し、伝統的な手織りシルクは消えかけていたのです。
そこで王太后が1960年代に設立したのが「SUPPORT財団」です。
🏛️ タイ国政府観光庁の資料によると、この財団は農村部の女性たちに絹織物の技術を教え、伝統工芸を保護し発展させることを目的としていました。
王太后自身がタイシルクの魅力を世界に発信し、パリの一流デザイナー、ピエール・バルマンとコラボレーションしてタイシルクのドレスを着用しました。その優雅な姿が欧米メディアで取り上げられ、タイシルクは世界的なブランドとして復活したのです。
今でもバンコクには「クイーン・シリキット・テキスタイル博物館」があり、王太后の功績を讃えています。タイ旅行で見かけるあの美しいシルク製品は、王太后が救ったものなのです。
❤️ 71年間務めたタイ赤十字社総裁
王太后は1954年から亡くなるまで、実に71年間もタイ赤十字社の総裁を務めました。
特に力を入れたのが、農村部の貧困対策です。プミポン前国王と共に、農村をしばしば訪問し、笑顔で気安く振る舞う王太后の姿は国民の心を掴みました。
灌漑や治水、特産品開発など、農村を活性化させるプロジェクトを次々と実施。さらに、イスラム武装勢力によるテロが起きたタイ南部の問題解決にも取り組むなど、前国王を補佐する重要な役割を果たしました。
⚖️ 1956年には摂政も務めた
もう一つ意外な功績があります。
1956年、プミポン前国王が伝統に従って出家(一時的に僧侶になる)した際、王太后が摂政を務めました。つまり、国王不在の間、国の代表として職務を代行したのです。
タイ王室の歴史の中でも、女性が摂政を務めることは珍しく、王太后の能力と信頼の高さを物語るエピソードです。
それでは、王太后の死去を受けて、タイ政府がどのような対応を取ったのか見ていきましょう。
📅 タイ政府が30日間の娯楽自粛要請、でも「禁止ではない」柔軟な対応
シリキット王太后の死去を受けて、タイ政府は服喪期間に関する方針を発表しました。
実は、当初「15日間の娯楽行事全面中止」と報道されましたが、タイランドハイパーリンクスの報道によると、最終的な閣議決定では内容が変更されています。
⏰ 服喪期間は誰がどれくらい?
タイ政府が正式に発表した内容は以下の通りです。
👔 王室メンバー・公務員
期間:1年間
内容:喪に服す(喪服着用)
🎭 娯楽施設・サービス業者
期間:30日間
内容:娯楽行事の自粛または縮小を「要請」
👥 一般国民
期間:90日間
内容:黒・白・グレーなど落ち着いた色の服装を「推奨」
⚠️ 重要なのは、「禁止ではない」という点です。政府は事業者や国民の判断に委ねる柔軟な対応を示しました。
🎪 実際にどんな影響が出ているの?
実際には、多くのイベントが延期や中止を発表しています。
例えば、AKB48の海外姉妹グループ「BNK48」は、10月25日・26日のミニコンサートを中止しました。一方で、同じイベント内の他のアクティビティは予定通り実施されています。
また、BLACKPINKのバンコク公演は開催されましたが、観光・スポーツ省が花火や照明、音響を控えるよう「要請」を出し、観客には白黒の服装が呼びかけられました。
つまり、完全に中止するのではなく、「派手な演出を控える」「服装に配慮する」といった形で開催されているケースが多いのです。
🔄 2016年のプミポン前国王死去時との違い
2016年にプミポン前国王が亡くなった時は、タイ全土で1年間の本格的な服喪期間が設けられました。街中の人がほとんど黒い服を着て、多くの娯楽イベントが長期間中止されました。
しかし今回は、30日間の「自粛要請」という比較的短く、柔軟な対応になっています。これは、長引くコロナ禍からの経済回復を考慮した措置と考えられます。
タイ政府は国民感情と経済活動のバランスを取ろうとしているのです。
それでは、日本人旅行者にとって最も気になる「タイ旅行への影響」について詳しく見ていきましょう。
✈️ タイ旅行への影響は?日本人旅行者が知っておくべきこと
「じゃあ、タイ旅行はどうなるの?」という疑問が浮かびますよね。結論から言うと、基本的なサービスは通常通り機能します。
✅ 普通に旅行できます
タイ旅行専門家の解説によると、以下のサービスは平常通り機能する見込みです。
🟢 通常通り利用できるもの
- 交通機関(飛行機、電車、バス、タクシー)
- 銀行、両替所
- 病院、薬局
- レストラン、カフェ
- ショッピングモール、コンビニ
つまり、観光や食事、買い物は問題なく楽しめます。
⚠️ 注意したほうがいいこと
ただし、以下の点には注意が必要です。
🔴 制限がある可能性があるもの
- 王宮など王室関連施設(入場制限の可能性)
- 夜の娯楽施設(バー、クラブなど)
- 大規模なイベントやコンサート
特に30日間(11月下旬頃まで)は、派手なエンターテイメント系の施設が休業したり、営業時間を短縮したりする可能性があります。
👔 服装はどうすればいい?
外国人旅行者に対して、特に黒い服の着用が強制されることはありません。
ただし、タイ在住者のアドバイスによると、以下のような配慮をすると良いでしょう。
👕 推奨される服装
- 黒、白、グレーなど落ち着いた色
- 露出の少ない服装
- 派手な柄や明るすぎる色は避ける
特に王宮周辺や寺院を訪れる際は、このような服装を心がけると、タイ国民への敬意を示すことができます。
😊 実は、配慮が好感を持たれる
実際、2016年のプミポン前国王死去の際、黒い服を着た日本人旅行者に対して、多くのタイ人が「外国人が私たちの国王のために黒い服を着てくれている」と感動し、優しく接してくれたというエピソードがあります。
タイ国民の深い悲しみに寄り添う姿勢は、むしろ好印象を与える可能性が高いのです。
📱 最新情報の確認を忘れずに
状況は日々変化する可能性があります。旅行前には必ず以下を確認しましょう。
- タイ国政府観光庁の公式発表
- 在タイ日本国大使館の安全情報
- 宿泊施設や訪問予定の施設の営業状況
📝 まとめ:「タイの母」が残したもの
シリキット王太后の死去について、重要なポイントをまとめます。
✨ 基本情報
- 2025年10月24日午後9時21分、93歳で死去
- 死因は血液感染症の悪化
- 2019年から約6年間の療養生活だった
👑 シリキット王太后とは
- プミポン前国王を66年間支えた「タイの母」
- 誕生日(8月12日)はタイの母の日
- ジャクリーン・ケネディに例えられたファッションアイコン
- 日本との友情も深く、東日本大震災に2600万円寄付
🏆 主な功績
- SUPPORT財団を設立し、タイシルク産業を復興
- 71年間タイ赤十字社総裁として農村支援に尽力
- 1956年には摂政を務めた
⏰ タイへの影響
- 王室メンバー・公務員:1年間の服喪
- 娯楽施設:30日間の自粛要請(禁止ではない)
- 一般国民:90日間の服装推奨
✈️ タイ旅行への影響
- 基本的なサービス(交通、銀行、病院、飲食店)は通常通り
- 王宮など王室関連施設や夜の娯楽施設は制限の可能性
- 落ち着いた色の服装で配慮すると好感を持たれる
シリキット王太后が残した功績と温かい心は、これからもタイ国民の中で生き続けます。タイを訪れる際は、「タイの母」への敬意を忘れずに、素敵な旅行を楽しんでください。
💭 よくある質問(FAQ)
Q1. シリキット王太后とは誰ですか?
A. シリキット王太后は、2016年に亡くなったプミポン前国王の妻で、現在のワチラロンコン国王の母です。1950年に結婚し、66年間にわたってタイ王室を支えました。誕生日の8月12日はタイの母の日として祝日になっており、「タイの母」として国民から深く愛されていました。
Q2. シリキット王太后の主な功績は何ですか?
A. 1960年代にSUPPORT財団を設立し、農村部の女性に絹織物技術を教えてタイシルク産業を復興させました。また1954年から71年間タイ赤十字社総裁を務め、農村部の貧困対策に尽力しました。1956年にはプミポン前国王の出家期間中に摂政も務めています。
Q3. タイの服喪期間はどのくらいですか?
A. 王室メンバーと公務員は1年間の服喪期間です。娯楽施設・サービス業者には30日間の自粛要請が出ていますが、これは禁止ではなく事業者の判断に委ねられています。一般国民には90日間、黒・白・グレーなど落ち着いた色の服装が推奨されています。
Q4. タイ旅行への影響はありますか?
A. 交通機関、銀行、病院、レストラン、ショッピングモールなど基本的なサービスは通常通り利用できます。ただし王宮など王室関連施設は入場制限の可能性があり、夜の娯楽施設は休業する可能性があります。外国人旅行者は落ち着いた色の服装で配慮すると好感を持たれます。