2025年10月2日、大阪の放送界に大きな訃報が届きました。
放送作家でタレントの新野新(しんの・しん)さんが、9月25日に90歳で永眠されたのです。
「新野新さんって誰?」と思った方も多いかもしれません。でも実は、深夜ラジオの歴史を変え、5000人以上のファンを熱狂させた伝説の人物なんです。
今回は、大阪の放送界に大きな足跡を残した新野新さんについて、わかりやすく紹介していきます。
📋 この記事でわかること

📻 新野新さんとは?放送作家からタレントへ転身した異色の経歴
新野新さんは、1935年2月23日に大阪で生まれました。
実家は氷屋を営んでいたという、ごく普通の家庭で育ったんです。
でも実は、早稲田大学の第一文学部英文学科を卒業したインテリでもありました。
1958年に大学を卒業した後、新野さんは大阪の北野劇場で演出助手として働き始めます。その後、東宝テレビ部に入社して、テレビドラマやコメディ、ミュージカルまで幅広く手がけるようになりました。
当時は今と違って、テレビ放送が始まったばかりの時代。新野さんは、日本のテレビが産声を上げた瞬間から現場にいた、まさに第一世代の放送作家だったんです。
💡 放送作家って何をする人?
テレビやラジオの番組の台本を書いたり、番組の流れを考えたりする仕事です。お笑い番組でタレントさんが話している内容も、実は放送作家さんが考えていることが多いんですよ。
新野さんは、そんな裏方の仕事をしながら、次第にタレントとしても活動するようになっていきました。
放送作家という裏方から、タレントという表舞台へ。この異色のキャリアが、新野さんの大きな特徴の一つです。
そして、そんな新野さんの名前を一躍有名にしたのが、これから紹介する伝説の深夜ラジオ番組でした。
🎙️ 伝説のラジオ番組「ぬかるみの世界」とは?鶴瓶との名コンビ
新野さんを語る上で絶対に外せないのが、ラジオ大阪の「つるべ・新野のぬかるみの世界」という番組です。
この番組は1978年4月9日から1989年10月1日まで、11年半にわたって放送されました。
📺 番組の基本情報
- 放送局:ラジオ大阪
- 放送時間:毎週日曜日の深夜0時~2時30分頃(終了時刻は不定)
- パーソナリティ:笑福亭鶴瓶さんと新野新さん
実はこの番組、最初は鶴瓶さんと「母親役」の人がしゃべる企画だったんです。でも鶴瓶さんが「新野先生とやりたい」と希望して、この名コンビが実現しました。
(Wikipedia - 鶴瓶・新野のぬかるみの世界より)
🤔 「ぬかるみ」ってどういう意味?
「ぬかるみ」は、泥でぬかるんだ場所のこと。「一度はまったら抜け出せない」という意味が込められていました。
実際、リスナーたちは番組にどっぷりハマって抜け出せなくなったんです。
番組では、二人が深夜に延々と「うだうだ話」を繰り広げました。台本もなく、その日の気分で自由にしゃべる。CMもなし。
終了時刻も決まっていなくて、盛り上がったら3時、4時まで放送が続くこともありました。
こんな自由すぎる番組が、当時の若者たちの心を掴んだんです。
🔥 社会現象になった「ぬかるみの世界」
番組は単なるラジオ番組の枠を超えて、社会現象になりました。
リスナーは「ぬかる民(ぬかるみん)」と呼ばれ、番組から生まれた独特の言葉「ぬかるみ語」を使って交流していました。
新野さんがよく使っていた「ありぃの」「しいぃの」という口癖は、全国ネットの番組でも使われるようになったほどです。
😲 驚くのはここから。
1980年5月、番組で呼びかけた大阪・新世界ツアーには、なんと5000人以上の「ぬかる民」が殺到しました。
小さな町の住民全員が集まったような、とんでもない数です。
さらに、お好み焼きの「千房(ちぼう)」という有名店には、「ぬかるみ焼き」という裏メニューまで存在していました。
通常1480円のお好み焼きが850円で食べられるという、ファン限定のサービスだったんです。
🏆 ギャラクシー賞受賞という評価
この番組、実はちゃんとした賞も受賞しています。
1981年、「日曜深夜の時間帯を開拓した」という功績が評価されて、ギャラクシー賞を受賞しました。
ギャラクシー賞は放送業界で最も権威のある賞の一つです。
(株式会社3PEACE - ぬかるみの世界より)
それまで深夜のラジオって、誰も注目していなかった時間帯だったんです。でも「ぬかるみの世界」が、深夜ラジオという新しい文化を作り上げました。
ちなみに番組初回の放送では、ゲストの甲斐よしひろさんと新野さんが歌謡曲について口論になるというハプニングも。
この出来事は「歌謡曲アダ花論争事件」として、番組の伝説の一つになっています。
関東地方まで電波が届いていたこともあって、全国に熱心なファンがいました。番組が終了した1989年から30年以上経った今でも、「もう一度聴きたい」という声が絶えません。
✨ 新野新さんの功績と影響力―大阪放送界に残した足跡
「ぬかるみの世界」以外にも、新野さんは大阪の放送界で幅広く活躍しました。
📺 タレントとしての出演番組
ABCテレビ「晴れ時々たかじん」や読売テレビ「今夜なに色?」など、関西では有名な番組に出演していました。
「今夜なに色?」に出演していた元女子大生の方は、「言葉に詰まったとき、新野先生が優しくフォローしてくださった」と懐かしそうに証言しています。
📚 著書も多数執筆
新野さんは著書も多く残しています。
📖 主な著書
- 「上方タレント101人」
- 「笑ほど素敵な商売はない」
- 「父のくしゃみ」
- 「雲の別れ 面影のミヤコ蝶々」
これらの本には、大阪の芸能界の歴史や、新野さんが出会った人々のエピソードがたくさん詰まっています。
👨🏫 珍しい弟子制度
新野さんには、もう一つ特徴がありました。それは「弟子制度」です。
放送作家が弟子を持つって、実はかなり珍しいことなんです。
👥 主な弟子
- 鹿島我(かしま・が)さん:三番弟子、現在は京都光華女子大学短期大学部教授
- 白尾城(しらお・しろ)さん:二番弟子
- 宮内見(みやうち・み)さん:四番弟子
- 上地茂晴さん:吉本超合金などを手掛けた構成作家
特に鹿島我さんは、「たかじんnoばぁ~」などの人気番組を手がけ、M-1グランプリの審査員も務めた有名な放送作家になりました。
師匠の背中を見て育った弟子が、立派に活躍しているんです。(Wikipedia - 鹿島我より)
📝 90歳で新刊出版という現役ぶり
最後まで現役だったのも、新野さんのすごいところです。
2024年6月、卒寿(90歳)のお祝いとして、新野さんの半生を綴った「小バラ色の人生 新野新で語る大阪放送界史」が出版されました。
弟子たちが編集を手がけた、温かい本です。
(神戸新聞総合出版センター - 小バラ色の人生より)
90歳になっても新しい本を出すなんて、本当に驚きですよね。
放送作家として、タレントとして、そして師匠として。新野さんは最後まで現役を貫きました。
🕊️ 新野新さんの死去―90歳、老衰で大往生
そんな新野さんが、2025年9月25日午後8時2分、大阪市内の病院で永眠されました。
死因は老衰。享年90歳でした。
卒寿を迎えて本を出版したばかりだったので、本当に充実した最期だったと言えるかもしれません。
(ORICON NEWS - 新野新さん死去報道より)
葬儀・告別式は近親者のみで執り行われました。また、お別れの会は生前に実施していたため、今後の予定はないそうです。
💫 生前にお別れの会を実施していた
実は新野さん、自分のお別れの会を生前に開いていたんです。
これって、自分の人生をしっかり見つめていた証拠ですよね。最後まで周りへの配慮を忘れない、そんな人柄がよく表れています。
訃報は10月2日に、門弟一同から発表されました。弟子たちが師匠の最期を見守り、そして世間に伝えたわけです。
💝 弟子や関係者が語る新野新さんの人柄
新野さんってどんな人だったの?
その答えは、一緒に仕事をした人たちの証言から見えてきます。
👨🎓 弟子・鹿島我さんの証言
三番弟子の鹿島我さんは、取材に対してこう話しています。
「とことん優しく、面倒見のいい師匠でした」
この言葉に、新野さんの人柄が凝縮されています。
🤝 一緒に仕事をした人たちの証言
訃報記事のコメント欄には、かつて新野さんと一緒に仕事をした人たちのコメントが寄せられました。
約35年前に2年ほど一緒に仕事をしたという方は、こう振り返っています。
「とても博学で、若いスタッフを大切にして、偉そうにすることもなく、自然体で懐の深いおおらかな先生だった」
そして驚くのは、毎年手書きの年賀状をもらっていたというエピソード。それも「年賀状終い」を宣言するまで、ずっと続いていたそうです。
90歳まで手書きで年賀状を書き続けるって、すごい義理堅さですよね。
🎤 「今夜なに色?」で共演した元女子大生の証言
女子大生のとき番組に出演していた方も、温かい思い出を語っています。
「新野先生は、私が言葉に詰まりかけると優しくフォローしてくださった。本当に穏やかでお優しい方でした」
深夜の生放送で緊張している女子大生を、さりげなくフォローする。そんな気配りができる人だったんです。
📻 「ぬかる民」たちの思い出
40年以上前から番組を聴いていたリスナーは、こんなコメントを残しています。
「通天閣ツアーに角座で年越し企画、ぬかるみ写真展、厚生年金会館での新野新リサイタル。ぬかる民だった懐かしい思い出」
番組は終わっても、その思い出は色あせない。それだけ強く心に残る番組を作っていたんですね。
❤️ 優しさと面倒見の良さ
すべての証言に共通しているのは、「優しさ」と「面倒見の良さ」です。
有名人なのに偉ぶらず、若い人を大切にして、最後まで義理を欠かさない。そんな人柄だったからこそ、多くの人に愛されたんです。
📝 まとめ:大阪放送界の偉大な足跡
新野新さんは、大阪の放送界に大きな足跡を残しました。
✅ 記事のポイント
- ✨ 新野新さんは早稲田大卒の放送作家で、タレントとしても活躍した
- 📻 代表作「つるべ・新野のぬかるみの世界」は深夜ラジオに革命を起こし、ギャラクシー賞を受賞
- 🎉 5000人以上のファンが熱狂し、お好み焼き屋に裏メニューまで生まれた
- 👨🏫 珍しい弟子制度を持ち、90歳まで現役で執筆活動を続けた
- 💝 優しく面倒見が良く、90歳まで手書きの年賀状を送り続けた義理堅い人だった
- 🕊️ 2025年9月25日、90歳で永眠(老衰)
深夜ラジオという新しい文化を作り、多くの人に愛され、弟子を育て、90歳まで現役を貫いた人生。
その温かい人柄と功績は、これからも多くの人の記憶に残り続けるでしょう。
新野新さんのご冥福を心よりお祈りします。
大阪の放送界を支え、深夜ラジオという文化を作り上げた新野新さん。
あなたは「ぬかるみの世界」を聴いてみたいと思いましたか?もし聴ける機会があったら、ぜひその伝説の雰囲気を感じてみてください。
🤔 よくある質問(FAQ)
Q1. 新野新さんはどんな人ですか?
新野新さんは1935年大阪生まれの放送作家・タレントです。早稲田大学卒業後、テレビ創成期から活躍し、笑福亭鶴瓶さんとの深夜ラジオ「ぬかるみの世界」で伝説を作りました。90歳まで現役で執筆活動を続けた第一世代の放送作家です。
Q2. 「ぬかるみの世界」とはどんな番組でしたか?
1978年から1989年まで11年半放送されたラジオ大阪の深夜番組です。笑福亭鶴瓶さんと新野新さんが台本なしで自由にトークを繰り広げ、1981年にギャラクシー賞を受賞。5000人以上が参加したツアーなど社会現象を巻き起こしました。
Q3. 新野新さんはいつ亡くなりましたか?
2025年9月25日午後8時2分に、大阪市内の病院で老衰のため永眠されました。享年90歳でした。卒寿記念の著書「小バラ色の人生」を出版した直後の大往生でした。
Q4. 新野新さんにはどんな弟子がいましたか?
放送作家として珍しく弟子制度を持っていました。三番弟子の鹿島我さんは現在京都光華女子大学教授でM-1審査員も務める有名な放送作家です。二番弟子の白尾城さん、四番弟子の宮内見さんなど多くの弟子を育てました。
Q5. 新野新さんの代表作は何ですか?
代表作はラジオ番組「つるべ・新野のぬかるみの世界」です。他にもテレビ番組「晴れ時々たかじん」「今夜なに色?」への出演、著書「上方タレント101人」「笑ほど素敵な商売はない」など多数の功績を残しました。
Q6. 新野新さんはどんな性格の人でしたか?
弟子や関係者の証言によると「とことん優しく面倒見のいい人」でした。有名人なのに偉ぶらず若いスタッフを大切にし、90歳まで手書きの年賀状を送り続けるなど義理堅い人柄で多くの人に愛されました。
この記事が参考になりましたら、ぜひSNSでシェアしてください。
新野新さんの功績を、より多くの人に知っていただければ幸いです。