🚗 2003年に2000台超 → 2023年は220台
20年間で10分の1以下に激減した宮型霊柩車、その意外な理由とは?
📋 この記事でわかること
小学生のとき、霊柩車を見たら親指を隠せと言われた経験はないでしょうか。
金色に輝く神社のような屋根、細かな彫金が施された荘厳な装飾。
あの「宮型霊柩車」が、今ではほとんど見られなくなっています。
⚠️ 衝撃の事実
2003年に全国で2000台以上走っていた宮型霊柩車は、2023年にはわずか220台にまで減少。20年間で10分の1以下という激減ぶりです。
その理由は「縁起が悪いから」という苦情だけではありませんでした。
法規制、コスト、職人不足など、複数の要因が重なり合った結果なのです。
この記事では、宮型霊柩車がなぜ消えつつあるのか、その意外な理由と背景を詳しく解説します。

宮型霊柩車とは?「走る神殿」と呼ばれた豪華絢爛な車の正体
宮型霊柩車とは、神社やお寺のような装飾が施された日本独自の霊柩車です。
「極楽浄土の入口」を表現しており、故人を現世から来世へと送り届ける役割を象徴しています。
高級車のルーフ上に白木の「屋形」が載せられ、金箔や手彫りの彫刻で飾られたその姿は、まさに「走る神殿」と呼ぶにふさわしい存在でした。
車内の天井には蓮の花や極楽浄土が描かれ、畳が敷かれた内装も特徴的です。
宮大工が一台一台手作業で制作するため、Wikipediaの霊柩車解説によると新車価格は約1500万円から2000万円以上にもなります。
🚙 ベース車両の秘密
キャデラックやリンカーンといったアメリカ製の大型車が使われてきました。これは装飾の重量に耐えられる大排気量エンジンと頑丈なフレームが必要だったためです。
宮型霊柩車の起源は大正時代にさかのぼります。
それまでの「野辺送り」では、棺を「輿(こし)」に納めて人々が担いで運んでいました。自動車が普及すると、この輿を車に載せる形で宮型霊柩車が登場したのです。
💡 実は縁起が良い存在だった
「縁起が悪い」と敬遠されがちな宮型霊柩車ですが、本来の意味を考えると、故人を極楽浄土へ導くための縁起の良い存在だったといえます。
では、この豪華な車がなぜ今では10分の1にまで減ったのでしょうか。
2003年に2000台超→2023年は220台。具体的データで見る激減の実態
全国霊柩自動車協会の発表によると、宮型霊柩車は20年間で10分の1以下に激減しています。
2003年には全国で2000台以上が走っていた宮型霊柩車は、その後年々減少を続けました。
2023年には220台にまで落ち込んでいます。
📊 宮型霊柩車の推移
| 年 | 台数 |
|---|---|
| 2003年 | 2,000台超 |
| 2017年 | 約650台 |
| 2023年 | 220台 |
この減少の転換点となったのが2009年でした。
この年、洋型霊柩車の台数が初めて宮型を上回ったのです。
テンミニッツ・アカデミーの解説によると、2017年時点ではシンプルな洋型とバン型を合わせて約5000台となり、全体の約8割を占めるようになりました。一方、宮型は約650台で全体の約1割という状況でした。
現在は洋型・バン型が8〜9割を占め、宮型霊柩車を目にする機会はさらに少なくなっています。
かつては霊柩車といえば宮型が7割以上を占めていた時代もありました。
毎日のように街中を走っていた光景は、今では完全に過去のものとなっています。
▼ ▼ ▼
この激減を引き起こした決定的な出来事は、「苦情」から始まりました。
「縁起が悪い」苦情が発端。150以上の自治体で乗り入れ禁止に
宮型霊柩車減少の大きなきっかけは、「縁起が悪い」という近隣住民からの苦情でした。
1997年から火葬場への乗り入れ禁止が全国に広がっていったのです。
🏛️ 最初に動いた自治体
1997年、山口県柳井市が市営火葬場を新設する際、宮型霊柩車の乗り入れを禁止したのが始まりでした。
「死を連想させる」「他人事ではない気がする」といった住民からの声を受け、この動きは全国に波及しました。
埼玉県では条例化の動きもあり、2016年の調査時点で全国150以上の火葬場で宮型霊柩車の乗り入れが規制されていました。
自分もいつかお世話になるのに、という指摘もあります。
しかし、派手な宮型霊柩車が自宅近くを通ることへの抵抗感は根強く、苦情は後を絶ちませんでした。
火葬場に入れないとなれば、当然ながら宮型霊柩車の出番は減ります。
葬儀社も宮型の保有を控えるようになり、利用者が宮型を選びたくても選べない状況が生まれました。
しかし、乗り入れ禁止だけが衰退の原因ではありませんでした。
1台2000万円超、職人不足、法規制…維持できない構造的問題
宮型霊柩車が減り続けている背景には、苦情だけでなく、複数の構造的な問題があります。
2009年以降は法規制により新車を作ることすらできなくなっているのです。
① コストの問題
新車価格は1500万円から2000万円以上。
さらに宮大工による定期的な改修も必要で、維持費も相当な金額になります。葬儀費用の低価格化が進む中、宮型霊柩車を保有し続けることは経営的にも厳しくなりました。
② 職人不足の問題
宮型霊柩車の装飾は宮大工が手作業で制作します。
彫金や木工の技術を持つ職人は年々減少・高齢化しており、新たに制作できる人材が限られています。
③ 法規制の問題(決定打)
⚖️ 実は法律で新造禁止
葬儀のデスクの解説によると、2001年6月に「道路運送車両の保安基準」が改定され、外装突起物が厳しく規制されるようになりました。
この規制により、2009年以降に製造された車両では外装突起の基準を満たせず、登録できなくなっています。つまり、宮型霊柩車の新造は実質的に禁止されているのです。
今ある宮型霊柩車がすべて寿命を迎えれば、国内から完全に姿を消す可能性があります。
ところで、霊柩車を見たら親指を隠す風習の由来を知っていますか?
親指を隠す風習の由来は江戸時代の「野辺送り」にあった
霊柩車を見たら親指を隠す風習は、江戸時代の野辺送りが起源です。
悪霊が体内に入らないようにするため、親指(親の指)を握って隠したといわれています。
📜 野辺送りとは
火葬場まで親族や地域の人が葬列を組み、故人を弔いながら送る慣習のこと。かつては棺を担いだり、人力車に載せたりして移動させていました。
浜松葬儀の解説によると、この野辺送りの際、死者の魂や悪霊が親指から体内に入り込むと信じられていたため、親指を隠す風習が生まれました。
「親の死に目に会えなくなる」という迷信も、ここから派生したものです。
霊柩車には他にも独特の風習があります。
行きと帰りで違う道を通るというのもその一つ。これは故人の魂が迷わないようにするため、または悪霊がついてこないようにするためと考えられています。
大正時代に霊柩車が登場してからも、野辺送りの精神は形を変えて受け継がれてきました。
宮型霊柩車の豪華な装飾も、「にぎやかな葬列」への未練と近代化への抵抗から生まれたものだという説があります。
日本で役目を終えつつある宮型霊柩車ですが、海外では意外な人気を集めています。
モンゴルで「走るお寺」として復活。海外で評価される日本の伝統工芸
日本で行き場を失った宮型霊柩車は、モンゴルで「走るお寺」として第二の人生を歩んでいます。
葬儀での使用予約は常にいっぱいだそうです。
🇲🇳 きっかけはモンゴル人力士
日本で活躍するモンゴル人力士が帰国した際、「日本にはお寺のような霊柩車がある」と伝えたところ、モンゴルの高僧から寄贈の依頼が来たのです。
小さなお葬式の解説によると、千葉県八街市の葬祭会社「アラキ」は、2003年以降、中古の宮型霊柩車3台をモンゴルの国営葬儀社に寄贈しました。約1000万円かけて整備した車両は、モンゴルで大歓迎を受けたといいます。
モンゴルでは1990年代前半の民主化以降、チベット仏教が再興しています。
社会主義政権時代に仏教が迫害され、多くの寺院が破壊されました。宮型霊柩車は「走る寺」として仏教復興の象徴となり、僧侶たちの支持を集めているのです。
また、モンゴルでは亡くなった方を盛大に弔う慣習があります。
日本では敬遠されるようになった豪華絢爛な装飾が、むしろ歓迎される土壌があったのです。
他の国々でも活躍
- ラオス:2014年に寄贈
- ミャンマー:人口の9割が仏教徒。日本から購入した宮型霊柩車が活躍
- ウガンダ:もともと軽トラックで搬送していたが、「特別感がある」と注目
日本で不要になったものが、海外では宝物として扱われる。
宮型霊柩車は、意外な形で日本の伝統工芸の価値を世界に示しています。
では、日本の宮型霊柩車の未来はどうなるのでしょうか。
令和の葬儀事情と宮型霊柩車の未来。今後どうなる?
新造が禁止されている以上、現存する車両が寿命を迎えれば、宮型霊柩車は国内から消滅する可能性が高いといえます。
2020年以降のコロナ禍で、葬儀の小規模化・低価格化はさらに加速しました。
通夜をしない「一日葬」や火葬のみの「直葬」が増え、少人数で済ませることが多くなっています。
こうした変化に伴い、搬送の形態も変わりました。
以前は病院からの搬出にはバン型、葬儀場から火葬場へは宮型や洋型と使い分けることが多かったのですが、今ではバン型一台で済ませるケースが増えています。
💰 費用面の差
- 宮型・洋型霊柩車:10km以内で5万〜6万円
- バン型:半額以下で利用可能
宮型霊柩車の減少を惜しむ声もあります。
「宮大工の技術があってこそ維持できる日本文化の象徴」「自分が死んだら宮型霊柩車で送ってほしい」という意見もSNS上で見られます。
しかし、150以上の自治体で乗り入れが禁止され、新車を作ることも法律上できない現状では、復活は難しいでしょう。
今後は博物館や文化財として保存されることになるのかもしれません。
街中で見かけたら、それは相当レアな光景です。
📝 まとめ
- 2003年に2000台超→2023年に220台と、20年間で10分の1以下に減少
- 「縁起が悪い」という苦情から、150以上の自治体で火葬場への乗り入れが禁止
- 2009年の保安基準改定で外装突起規制が適用され、新車の製造が実質禁止に
- 1台2000万円超の高コストと職人不足も衰退を加速
- モンゴルでは「走るお寺」として仏教復興の象徴に
宮型霊柩車は、本来「極楽浄土の入口」を表す縁起の良い存在でした。日本で見かける機会はますます減っていきますが、海外ではその価値が再評価されています。もし街中で出会うことがあれば、消えゆく日本の伝統工芸に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
❓ よくある質問
Q. 宮型霊柩車はなぜ減ったのですか?
「縁起が悪い」という苦情から150以上の自治体で火葬場への乗り入れが禁止されたこと、2009年の保安基準改定で新造が実質禁止になったこと、1台2000万円超の高コストと職人不足が主な原因です。
Q. 宮型霊柩車が禁止されている理由は何ですか?
火葬場周辺の住民から「死を連想させる」「縁起が悪い」といった苦情が相次いだため、自治体が乗り入れを禁止するようになりました。1997年の山口県柳井市が最初です。
Q. なぜ霊柩車を見たら親指を隠すのですか?
江戸時代の野辺送りが起源で、悪霊が親指から体内に入り込むと信じられていたためです。「親の死に目に会えなくなる」という迷信もここから生まれました。
Q. 宮型霊柩車は今でもありますか?
2023年時点で全国に約220台が残っていますが、新造は法規制で禁止されているため、現存車両が寿命を迎えれば国内から消滅する可能性があります。一方、モンゴルなど海外では「走るお寺」として活躍しています。
📚 参考文献