この記事の3つのポイント
- 久米宏さんが2026年1月1日に肺がんで死去、81歳
- 阪神淡路大震災取材で語った「映像ではなく言葉で説明する」という報道哲学
- 妻・麗子さんが明かした「サイダーを一気に飲んだあと旅立った」最期の様子
この記事でわかること
2026年の幕開けとともに、一つの時代が静かに終わりを告げた。
フリーアナウンサーの久米宏さんが、1月1日に肺がんのため81歳で亡くなったことが、所属事務所から発表された。『ザ・ベストテン』『ニュースステーション』など数々の番組で時代を彩った久米さん。その最期は、妻の言葉を借りれば「最後まで"らしさ"を通した」ものだったという。
久米宏さんとはどんな人だったのか。経歴から、あまり知られていない報道への姿勢まで振り返る。
久米宏さん死去 81歳 元日に肺がんで
訃報の概要
- 死亡日:2026年1月1日
- 死因:肺がん
- 享年:81歳
- 発表:所属事務所オフィス・トゥー・ワン(1月13日)
- 葬儀:近親者のみで執り行われた
久米さんは長年のヘビースモーカーとして知られていた。2021年9月には『週刊ポスト』への手記で、ドクターストップにより禁煙を余儀なくされたことを告白している。肺がんとの闘病がいつから始まったのかは明らかにされていないが、この禁煙が何らかの兆候だった可能性も考えられる。
元日という日付に、多くの人が言葉を失ったのではないだろうか。
新しい年の始まりに、昭和・平成のテレビを彩った一人が静かに旅立った。では、久米宏さんはどんな番組で、どんな活躍をしてきたのか。
ザ・ベストテンからニュースステーションへ——18年半、4795回の軌跡
久米宏さんは1967年にTBSに入社し、アナウンサーとしてキャリアをスタートさせた。1979年にフリーへ転身してからの活躍は、テレビ史に残るものだった。
久米宏さんの代表番組
- 『ぴったしカン・カン』(1975年〜1984年)
- 『ザ・ベストテン』(1978年〜1985年)黒柳徹子さんと共演
- 『ニュースステーション』(1985年〜2004年)メインキャスター
そして1985年から2004年まで18年半、4795回にわたってメインキャスターを務めた『ニュースステーション』。
18年半という数字を実感できるだろうか。高校に入学した子どもが、大学を卒業し、社会人になってもまだ続いていた計算だ。毎晩毎晩、茶の間にニュースを届け続けた。
『ニュースステーション』で久米さんが貫いたのは、「中学生にもわかるニュース」というコンセプトだったと言われている。専門用語を並べるのではなく、視聴者と同じ目線で「これってどういうこと?」と問いかけるスタイル。原稿を映し出すプロンプターを使わず、机の上に置いた原稿を見ながら話す姿は、まるで視聴者と一緒に考えているようだった。
黒柳徹子さんのコメント
「本当の親友だった」
『ザ・ベストテン』以来、長年にわたって親交を深めてきた間柄だという。
しかし、報道の現場で久米さんは常に葛藤を抱えていた。
「カメラとマイクは向けられない」——阪神淡路大震災25年取材で見せた報道哲学
2020年1月、阪神淡路大震災から25年の節目に、久米宏さんは自ら被災地を再訪した。ABCテレビの『キャスト特別企画』に出演し、神戸市兵庫区・長田区を取材したのだ。
そこで語られた言葉が、彼の報道哲学を象徴している。
久米宏さんの言葉
「家族で何人か亡くなったって方には、ちょっとね。
カメラとマイクは向けられないですよね。これが限界だと思います」
テレビのキャスターが「カメラを向けられない」と言う。一見すると矛盾しているように聞こえるかもしれない。しかし久米さんは続けた。
「あの時、一番悩んだのは避難所にカメラを入れていいのか、ということ。映像ではなく、できる限り言葉で説明するのが僕の役目だった」
この発言が意味すること
映像メディアの第一線で活躍してきた人が、「映像に頼らない」選択をした。これは報道に携わる者が直面するジレンマそのものだと言えるのではないだろうか。
「伝える義務」と「傷つけない配慮」。その狭間で、久米さんは「言葉で説明する」という道を選んだ。
同時に、久米さんはこうも語っている。
「災害はいつどこで起きるか分からない。しつこいと思われても『明日はわが身』と伝えるのが報道の義務」
伝えるべきことは伝える。しかし、伝え方には節度がある。「物言うキャスター」として知られた久米さんだが、実は「物言わない」場面を選ぶこともできる人だった。あなたは、報道する側にこんな葛藤があることを知っていただろうか。
▲ ABCテレビニュース:久米宏さんが語る震災25年
そんな久米さんの最期は、「らしさ」に満ちたものだった。
「サイダーを一気に飲んだあと旅立った」——妻・麗子さんが語る最期
久米宏さんの妻・麗子さんは、夫の死去に際してコメントを発表した。
妻・麗子さんのコメント
「大好きなサイダーを一気に飲んだあと旅立ちました。まるでニュースステーション最終回でビールを飲みほしたあの時のように」
2004年、18年半続いた『ニュースステーション』の最終回。久米さんはスタジオでビールを飲み干し、「戦争を知らず、ミスリードしたことのない民間放送を愛しています」と語って番組を締めくくった。
2004年 Nステ最終回
ビールを飲み干して終了
2026年 人生の最終回
サイダーを一気に飲んで旅立ち
サイダーとビール。飲み物は違えど、「一気に飲み干して区切りをつける」という構図は同じだ。番組の最終回と、人生の最終回。麗子さんがこの対応関係を意識してコメントしたのだとすれば、夫婦の間で共有されていた「久米宏らしさ」が垣間見える。
麗子さんはこう締めくくった。
✓ 「最後まで"らしさ"を通したと思います」
久米麗子さんについて
- 1945年生まれ、スタイリスト・元モデル
- 1969年、早稲田大学の演劇サークル「劇団木霊」で知り合い結婚
- 子どもはいない
- 『ニュースステーション』時代には久米さんの衣装を担当
57年にわたる結婚生活。その最期を「らしさを通した」と表現できる関係性とは、どのようなものだったのだろうか。
今回のニュースまとめ
- 久米宏さんは2026年1月1日、肺がんのため81歳で死去
- 『ニュースステーション』を18年半・4795回にわたって担当
- 阪神淡路大震災取材で「映像ではなく言葉で説明する」という報道哲学を語っていた
- 妻・麗子さんは「最後まで"らしさ"を通した」とコメント
「映像ではなく、言葉で説明するのが僕の役目だった」
テレビというメディアの最前線にいながら、映像の限界を自覚し、言葉を選んだ人。それが久米宏さんだった。
あなたは久米宏さんの番組で、何を覚えているだろうか。『ザ・ベストテン』のランキング発表か。『ニュースステーション』の鋭いコメントか。それとも、丸坊主になって日テレに乗り込んだ伝説のシーンか。
「らしさを通す」とは、どういうことなのだろう。最期にサイダーを一気に飲んで旅立った久米さんの姿は、その答えの一つなのかもしれない。
関連リンク
- オフィス・トゥー・ワン公式サイト
所属事務所の公式発表を確認できます - ABCテレビ 阪神淡路大震災25年取材
久米さんが被災地を再訪した際の詳細記事
よくある質問(FAQ)
Q1. 久米宏さんの死因は何ですか?
肺がんです。2026年1月1日に81歳で亡くなりました。久米さんは長年のヘビースモーカーとして知られており、2021年にはドクターストップで禁煙を余儀なくされたことを告白していました。
Q2. 久米宏さんの代表番組は何ですか?
『ザ・ベストテン』(1978年〜1985年、黒柳徹子さんと共演)、『ニュースステーション』(1985年〜2004年、18年半・4795回)などがあります。
Q3. 久米宏さんに子供はいますか?
久米宏さんと妻・麗子さんの間に子どもはいません。1969年に結婚し、57年にわたる結婚生活でした。
Q4. 「カメラとマイクは向けられない」とはどういう意味ですか?
2020年の阪神淡路大震災25年取材で久米さんが語った言葉です。「家族を亡くした方にはカメラを向けられない。これが限界」と述べ、報道する側の葛藤を明かしました。
Q5. 久米宏さんの最期はどのようなものでしたか?
妻・麗子さんによると「大好きなサイダーを一気に飲んだあと旅立った」とのこと。ニュースステーション最終回でビールを飲み干した姿と重なる、「久米宏らしい」最期だったと言われています。
リアルタイムニュース.com 編集部
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