📖 2025年9月5日、一人の編集者が96歳の生涯を静かに閉じました
新潮社で川端康成、三島由紀夫、檀一雄、森茉莉といった昭和を代表する文豪たちを担当した小島千加子(こじま・ちかこ)さん。その名前を知る人は今では少ないかもしれません。
でも、彼女は日本文学史に残る重要な瞬間の証人でした。
💡 1970年11月25日――作家・三島由紀夫が自ら命を絶ったあの日、小島さんは三島から「豊饒の海」最終巻「天人五衰」の最後の原稿を受け取っていたのです。
作家の栄光と苦悩、そして最期を誰よりも近くで見届けた編集者。小島千加子さんの人生を振り返ります。

📋 この記事でわかること
📚 小島千加子さんとは?三島由紀夫の最後の原稿を受け取った伝説の編集者
小島千加子さん(本名:小嶋喜久江)は、1928年(昭和3年)生まれ。東京都出身で、日本女子大学国文科を卒業後、1948年に新潮社に入社しました。
配属されたのは、文学雑誌『新潮』の編集部。
そこで彼女が担当したのは、そうそうたる顔ぶれでした。
✨ 小島さんが担当した文豪たち
- ノーベル文学賞作家・川端康成
- 詩人・室生犀星
- 作家・三島由紀夫
- 作家・檀一雄
- 作家・森茉莉(森鷗外の長女)
- 作家・吉行理恵
編集者という仕事は、作家の原稿を受け取り、出版に向けて調整する役割です。でも、それだけではありません。
作家の創作活動を支え、時には人生の相談相手にもなる――小島さんは、まさにそんな編集者でした。
特に、彼女には他の編集者にはない「特別な立場」がありました。
それは、文豪たちの「最期の瞬間」に立ち会ったこと。
三島由紀夫が自決した日に最後の原稿を受け取り、檀一雄が病床で最期の力を振り絞って口述した言葉を筆記した――そんな編集者は、他にいません。
⚡ 三島由紀夫自決当日の出来事―「天人五衰」最終回原稿を受け取る
1970年11月25日。
この日、三島由紀夫は東京・市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で、自衛隊にクーデターを呼びかけた後、自ら命を絶ちました。享年45歳。
日本中が衝撃に包まれたこの事件。
でも実は、三島はその日の朝、ある重要な仕事を完成させていました。
それが、10年以上にわたって書き続けてきた大作「豊饒の海」四部作の最終巻「天人五衰」の最終回原稿でした。
🎭 三島はこの原稿を、担当編集者だった小島千加子さんに渡していたのです。
つまり、作品の完成と人生の終結が、同じ日に訪れたということ。
「豊饒の海」について、詳しくは新潮社の公式サイトをご覧ください。
三島由紀夫という作家は、自分の人生そのものを一つの作品として完成させようとしていたのかもしれません。
そして、その最後の瞬間を知る人の一人が、小島千加子さんでした。
小島さんは後に、三島由紀夫との思い出を綴った著書「三島由紀夫と檀一雄」を出版。三島の最期の日々について、貴重な証言を残しています。
🏆 川端康成、室生犀星―小島さんが担当した文豪たち
小島さんが担当したのは、三島由紀夫だけではありません。
昭和を代表する文豪たちが、彼女の担当作家でした。
川端康成は、1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した作家。「雪国」「伊豆の踊子」など、日本文学を代表する作品を生み出しました。
川端は1972年に自ら命を絶ちましたが、彼もまた小島さんが担当していた作家の一人でした。
室生犀星は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という詩で有名な詩人・小説家。小説「あにいもうと」なども知られています。
新潮社の『新潮』編集部で、小島さんはこうした文豪たちの原稿を預かり、作品を世に送り出す仕事を続けていました。
💚 ノーベル賞作家も、新人作家も――小島さんは、すべての作家を同じように大切に扱ったと言われています。
それが、多くの作家から信頼された理由だったのかもしれません。
✍️ 檀一雄「火宅の人」最終章を口述筆記で完成
小島さんの編集者としての仕事を語る上で、もう一つ忘れられないエピソードがあります。
それが、作家・檀一雄の遺作「火宅の人」の完成です。
檀一雄は、「最後の無頼派」と呼ばれた作家。放浪と酒と女性を愛し、波乱万丈の人生を送った人物でした。
そんな檀が20年以上にわたって書き続けていたのが、自身の私生活を赤裸々に綴った小説「火宅の人」です。
しかし、1975年、檀は末期の肺がんで入院。もう原稿を書く体力は残されていませんでした。
そこで小島さん(本名:小島喜久江)が行ったのが、「口述筆記」でした。
📝 口述筆記とは、作家が声に出して語った内容を、編集者が書き取る方法です。
病床で、檀一雄は最期の力を振り絞って物語の最終章を語り、小島さんがそれを書き取りました。
こうして完成した「火宅の人」は、檀の遺作となりました。檀一雄は1976年1月2日、63歳で亡くなりました。
この作品は没後、読売文学賞と日本文学大賞を受賞。檀の代表作として、今も多くの人に読まれています。
作家の最期に寄り添い、最後の作品を完成させる――これもまた、編集者の大切な仕事だったのです。
🌸 森茉莉との29年間の親交
小島さんには、特に長く深い関係を築いた作家がいました。
それが、森茉莉(もり・まり)です。
森茉莉は、文豪・森鷗外の長女。父への思慕を綴った「父の帽子」や、耽美的な小説「恋人たちの森」「甘い蜜の部屋」などで知られる作家です。
小島さんと森茉莉の関係は、1958年に始まり、森茉莉が1987年に亡くなるまで29年間続きました。
約30年――これは、単なる編集者と作家の関係を超えた、深い親交でした。
森茉莉は生活能力が低く、晩年は経済的にも苦しい状況でした。そんな森を、小島さんは編集者として、そして一人の友人として支え続けたのです。
1987年6月6日、森茉莉は東京・経堂のアパートで一人、85歳で亡くなりました。いわゆる孤独死でした。
でも、森茉莉には小島千加子さんという理解者がいました。
💜 その親交は、森茉莉の死後も、小島さんが編集した森茉莉の著作という形で続いています。
🕊️ 96歳で死去―編集者として生きた人生
小島千加子さんは1988年、新潮社を退社。副部長職まで務めた後の退職でした。
退社後、小島さんは文筆業に専念しました。
1980年には「三島由紀夫と檀一雄」を出版。1990年には「作家の風景」を出版し、自身が担当した文豪たちとのエピソードを綴りました。
詩人としても活動し、詩集「虹のかけ橋」「星の町」を発表。
編集者として文豪を支えるだけでなく、自らも書き手として活動した人生でした。
そして2025年9月5日、東京都内で老衰のため死去。96歳でした。
葬儀は近親者で行われました。
📌 この記事のポイント
- 小島千加子さんは、新潮社で川端康成、三島由紀夫、檀一雄、森茉莉などを担当した伝説の編集者
- 三島由紀夫が自決した1970年11月25日、その日の朝に「天人五衰」最終回の原稿を受け取っていた
- 檀一雄が末期がんで入院中、病床での口述筆記により遺作「火宅の人」を完成させた
- 森茉莉と1958年から1987年まで29年間の親交を結んだ
- 2025年9月5日、96歳で死去。退社後は著書を通じて文豪たちの記憶を後世に伝えた
小島千加子さんの人生は、「文学は作家だけでなく、それを支えた編集者たちによって紡がれてきた」ことを、私たちに静かに教えてくれます。
❓ よくある質問(FAQ)
Q1. 小島千加子さんはどんな人でしたか?
1928年生まれの編集者で、新潮社で川端康成、三島由紀夫、檀一雄、森茉莉など昭和の文豪たちを担当。三島由紀夫が自決した日に最後の原稿を受け取り、檀一雄の遺作を口述筆記で完成させるなど、文学史の重要な瞬間に立ち会った人物です。
Q2. 三島由紀夫の自決当日に何があったのですか?
1970年11月25日、三島由紀夫は「豊饒の海」第四巻「天人五衰」の最終回原稿を完成させ、担当編集者だった小島千加子さんに渡しました。その同じ日、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。作品の完成と人生の終結が同じ日に訪れました。
Q3. 檀一雄の「火宅の人」はどのように完成したのですか?
檀一雄は末期の肺がんで入院中、もう原稿を書く体力がありませんでした。そこで小島さんが「口述筆記」を行い、檀が語った内容を書き取る形で最終章を完成。この遺作は没後、読売文学賞と日本文学大賞を受賞しました。
Q4. 森茉莉との関係はどのようなものでしたか?
小島さんと森茉莉(森鷗外の長女)は、1958年から森茉莉が1987年に亡くなるまで29年間にわたる親交を結びました。編集者と作家の関係を超えた深い友情で、小島さんは森茉莉の作品の編集も手掛けました。
Q5. 小島千加子さんはいつ亡くなったのですか?
2025年9月5日、東京都内で老衰のため死去。96歳でした。1988年に新潮社を退社後は文筆業に専念し、「三島由紀夫と檀一雄」「作家の風景」などの著書を通じて、文豪たちの記憶を後世に伝えました。
Q6. 小島千加子さんの著書にはどのようなものがありますか?
主な著書に「三島由紀夫と檀一雄」(1980年)、「作家の風景」(1990年)があります。また詩人としても活動し、詩集「虹のかけ橋」「星の町」を発表。森茉莉の著作「マリアの空想旅行」の編者も務めました。
参考文献