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「脳に障害があっても被害者じゃない」一宮妊婦事故・立件断念の衝撃と法の壁

「事故で脳に重い障害を負った赤ちゃんは、"被害者"ではない

 

そんな衝撃的なニュースが、2025年11月28日、日本中を駆け巡りました。



愛知県一宮市で妊婦が車にはねられ死亡した悲惨な事故。

緊急帝王切開で生まれた女の子は、今も意識不明のまま人工呼吸器をつけて眠り続けています。



【結論】なぜ立件断念?

11万人の署名が集まったにもかかわらず、検察は赤ちゃんへの傷害罪適用を断念。

理由は「胎児は母体の一部」とする刑法の解釈により、法律上の「人」として認められないからです。



なぜ、明らかに事故の被害者である赤ちゃんが、法律上は「存在しない」かのように扱われるのでしょうか。

 

この記事では、事件の全容から、11万人の署名も届かなかった「明治時代の法律」の壁について、どこよりもわかりやすく解説します。

「脳に障害があっても被害者じゃない」一宮妊婦事故・立件断念の衝撃と法の壁

「脳に障害があっても被害者じゃない」一宮妊婦事故・立件断念の衝撃と法の壁



 

 

 

31歳妊婦が散歩中に車にはねられ死亡…事故の全容

出産まであと約1カ月半。幸せの絶頂にいた31歳の妊婦が、日課の散歩中に背後から車にはねられ、帰らぬ人となりました。

 

緊急帝王切開で生まれた娘は重度の脳障害を負い、半年以上経った今も、意識が戻っていません。



事故の経緯を整理します。

  • 日時:2025年5月21日 午後3時45分頃
  • 場所:愛知県一宮市木曽川町の市道
  • 被害者:研谷沙也香さん(31歳・妊娠9カ月)
  • 加害者:児野尚子被告(50歳・無職)



FNNプライムオンラインの報道によると、沙也香さんは里帰り出産のため帰省中でした。

路側帯を歩いていたところ、後方から来た軽乗用車が進路を逸脱し、背後から衝突。沙也香さんは約15メートル先まではね飛ばされました。



歩行者にとっては、あまりに理不尽で、避けようのない事故でした。



緊急帝王切開で生まれた日七未ちゃん

沙也香さんは意識不明の重体で搬送。お腹の赤ちゃんを救うため、事故から約1時間半後に緊急帝王切開が行われました。

 

生まれた女の子は「日七未(ひなみ)」ちゃんと名付けられました。



しかし、事故の衝撃で母体内で酸素が届かない時間があり、診断は「低酸素性虚血性脳症」

 

生まれてから一度も泣き声を上げたことがない。目を開けたこともない。自発呼吸ができず、人工呼吸器が外せない——。

医師からは「一生寝たきりの状態が続く」と告げられたといいます。



実は…事故直前の会話

沙也香さんは事故のわずか4日前、広島から訪ねてきた夫の友太さんと「赤ちゃんの名前、どうしようか」「こんな子に育ってほしいね」と楽しく語らっていたそうです。



そして事故から2日後の5月23日早朝、沙也香さんは我が子を一度も抱くことなく、静かに息を引き取りました。



母親だけでなく、赤ちゃんも明らかに甚大な被害を受けています。しかし、法律の壁が立ちはだかりました。

 

 

 

なぜ赤ちゃんへの傷害罪は「立件断念」されたのか

結論から言うと、検察は「胎児を母体の一部とみなす刑法の解釈を改めるのは難しい」と判断しました。

 

これにより、日七未ちゃんに対する「過失運転致傷罪」での立件は断念されました。



中日新聞の報道によると、名古屋地検は事故と日七未ちゃんの障害との因果関係について、約3カ月にわたり専門的な補充捜査を行っていました。



しかし、最終的な判断は「適用不可」。最大の理由は、日本の刑法における「胎児は人ではない」という解釈です。



【ここがポイント】

  • 刑法では「人」への傷害罪は成立する
  • しかし、胎児は法律上「人」ではなく「母体の一部」
  • 「母体の一部」への傷害は「母親への傷害」として処理される
  • つまり、赤ちゃん個人への罪は問えない



検察も模索した「水俣病判例」の適用

検察も、何とかして立件できないか模索していたようです。

 

1988年の水俣病事件では、最高裁が「胎児が出生し人となった後、母体の一部として発生した病変で死亡した場合は罪が成立する」と判断した例があります。



しかし、今回は「出生後に死亡」したわけではなく、「障害を負って生存」しているケース。

同じ論理を当てはめるのは困難と判断されたとみられます。



まだ終わっていない

ただ、検察は完全に諦めたわけではありません。

傷害罪としての立件は断念しましたが、起訴内容で日七未ちゃんの被害にも言及し、量刑(刑の重さ)に反映させるための「訴因変更」を裁判所に求める方針です。

 

 

 

「胎児は母体の一部」——刑法が定める"人の始まり"とは

「え、お腹の中の赤ちゃんは人じゃないの?」

そう驚く方も多いでしょう。でも、これが明治時代から続く日本の刑法の考え方なのです。



日本の法律では、いつから「人」になるのでしょうか?

 

判例・通説では「一部露出説」が採用されています。

母体から体の一部でも出た時点 = 「人」

 

それまでは「母体の一部」として扱われるため、胎児への直接的な攻撃(過失)を罰する法律が存在しないのです。



医療の進歩と法律のギャップ

ここに、現代医療と古い法律との間に大きなズレが生じています。



TBS報道特集で、埼玉医科大学の加部一彦特任教授(新生児科)はこう指摘しています。

 

「日本では在胎22週を超えれば、医療現場ではもう『人』として救命します。300グラム台で生まれても元気に育つ時代。医療の認識と法律の定義には、大きな乖離があります」



実は過去に一度だけ、例外的な判決が出たことがあります。

 

2003年の鹿児島地裁です。交通事故で早産となり障害を負った赤ちゃんに対し、「事故時に人格権は存在していた」として傷害罪を認めたのです。

 

しかし、これはあくまで地方裁判所の判例であり、最高裁の決定ではないため、今回の名古屋地検の判断を覆すには至りませんでした。

 

 

 

11万人の署名は届かなかった…遺族・研谷友太さんの思い

「明らかに事故の被害者なのに、起訴状に娘の名前がないのは違和感しかない」

夫の研谷友太さん(33歳)は、そう訴え続けてきました。



友太さんは事故後、育児休暇を取り、毎日病院で日七未ちゃんに付き添っています。

 

メ〜テレの取材に対し、友太さんは涙ながらに語っています。

 

「娘が頑張って生きてくれていることが一番うれしい。妻が残してくれた宝物なので、精いっぱい守っていかないといけない」



友太さんは日七未ちゃんへの起訴を求め、署名活動を開始。

その数は11万2千筆を超え、9月2日の初公判に合わせて名古屋地検に提出されました。



しかし、検察の出した答えは「立件断念」。法の壁はあまりにも厚かったのです。



SNS上でも、悲痛な声が溢れています。

  • 💬 「胎児は人と見ないって、今の時代に合ってない」
  • 💬 「署名したのに…断念って、法的に難しいと正義も通らないの?」
  • 💬 「赤ちゃんがモノ扱いされているようで辛い」

 

 

 

今後の裁判はどうなる?法改正の可能性は

立件は断念されましたが、まだ裁判は続きます。

 

現在、児野尚子被告は沙也香さんに対する「過失運転致死罪」で起訴されています。

9月2日の初公判で、被告は涙ながらに起訴内容を認め、遺族に謝罪しました。



検察は今後、「訴因変更」を行い、起訴内容に日七未ちゃんの被害実態を盛り込む方向です。

これにより、量刑(刑罰の重さ)の判断において、赤ちゃんの被害も考慮される可能性があります。



法改正はできるのか?

「胎児を人として認めるよう、法律を変えるべきだ」という声も多くあります。しかし、ハードルは非常に高いのが現実です。



【法改正の難しいジレンマ】

弁護士の指摘によると、もし胎児を刑法で完全に「人」と認めてしまうと、現在認められている「人工妊娠中絶」が殺人罪になってしまう恐れがあるのです。



母体保護法など、他の法律との兼ね合いもあり、すぐに法改正をするのは難しい状況です。



それでも、友太さんはこう語ります。

「妻と娘の命が、社会の問題を見つめ直すきっかけになることを願っています」




よくある質問:一宮妊婦事故の立件断念について

なぜ赤ちゃんへの傷害罪は立件されなかったのですか? 刑法上、「胎児は母体の一部」とみなされ、法的な「人」として扱われないためです。胎児への過失による傷害を直接罰する法律がありません。
署名はどれくらい集まりましたか? 夫の研谷友太さんを中心に11万2千筆以上の署名が集まり、名古屋地検に提出されましたが、立件には至りませんでした。
今後、加害者の罪はどうなりますか? 現在は妊婦への「過失運転致死罪」で起訴されていますが、検察は訴因を変更し、赤ちゃんの被害も含めた量刑を求める方針です。
胎児を人と認めるような法改正はされないのですか? 胎児を人と認めると、人工妊娠中絶が「殺人」となる恐れがあるなど、法体系全体に関わるため慎重な議論が必要です。



「胎児は人ではない」という法律の解釈。

あなたはどう思いますか?

 

医療技術が進歩し、22週でも生存可能になった現代。明治時代から変わらない刑法の考え方は、このままでいいのでしょうか。

 

今回の事件は、私たち一人ひとりに「命の始まりとは何か」という根源的な問いを投げかけています。

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